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怖い先輩も実は優しい高校野球

「殺すぞ」と言った先輩に「お前がレギュラーになれ」と言われた短い話。

夏の連日練習は、それはそれは厳しいもので、あれを経験をすればいくらでも社会で動くことができると思う。

夏の練習は朝から始まり、午後の練習も夜までだ。

僕が一年の夏、二年生の先輩との毎日の練習は、
新しいことばかりで、どの練習にもついていくだけで精一杯。
しかも日本の暑さたるや蒸し暑いのなんの、毎年暑さは増すばかり。
炎天下の中、昼休憩が終わり、再度午後の練習に入る。

グラウンドを走って、キャッチボールや、基本的な練習のウォーミングアップが終わればみんな物凄く汗だくだ。

みんな水が欲しい。
体が弱くて体力のなかった僕も、水が欲しいのだ。
部屋にいるだけでも水が欲しくなるのだ。
40度の中ではみんな水が欲しい。

その水への欲求で、それぞれの練習の後の5分間の休憩時間には、
マネージャーが作ってくれたウォータージャグに人が集まる(密です)

皆ウォータージャグから出る水を止めずに、出しっぱなしで、
前の人がコップに入れている間に、その前の人のコップの下に自分のコップを入れて、前の人がコップを外すと次の人がコップを蛇口に近づけるように上げ、また次の人がコップを下に準備しておく。

その流れの中に僕もいた。

ジェットコースターに乗る列で待つ子供のように、
親から口渡しの餌を待つ子供の鳥のように、
良くある広い庭園の全然管理されていない鯉が、
観光客が餌を撒こうとするとここぞとばかりに群がるように

蛇口から地面に落下する水を待つコップの列に死ぬ思いで待っていた。
僕にとってはそれぞれの練習が戦場だ。今は生命の水を待つ難民である。
3番目、2番目と順番が上がってくる。
うん?
2番目の僕と今水を入れている上の人の間、1.5番目ぐらいの少し離れたところに一つコップが現れた。

何をしているんだ?

いや、でも我々にはコップを下から待たないといけないルールがあり、
俺は死にそうなんだ、ずっと待って来たんだというプライドが出てきた。

1番目のコップが列を抜けた。

さぁ僕の番だと思ったら、1.5番目にいた人のコップが僕の列に入ってきた。同着だ。
でも待ってよ、
俺がずっと待ってたんだぞ。俺だろ?

普段、僕はめちゃめちゃ先輩には礼儀正しく振舞う方で、挨拶や先輩への反応は一番と言っても良いぐらいだった。その時は疲れていたのか、なぜか先輩がその1.5番目だという可能性が見えていなかった。

自分がそのジャグの下にほんの少し長くいたというプライドだけで、
中に入ってきた1.5番目のコップを若干外に弾き返すが、
その外からきた外来種コップが押し返してきた。

いやちょっと待てよ、なんか雰囲気が悪い。
この外来種、普通のコップとスケールが違うような。。

とふと顔を見上げると、

「殺すぞ」

僕は凍りついた。

怖い先輩

二年生の先輩の中で一人、三年生の試合にも出ていたエリート先輩が居た。
部活にいるエリート系だが、その分めちゃめちゃ怖いし、体もデカイ。
その人は、僕が奥の部屋に呼ばれた時にスポンジを投げてきた先輩だった。
怪物な先輩だ。

時を戻します。

僕はその怪物のコップを、一回列に入ろうとしたにも関わらず、押し返し、「自分の方が上ですよ?」と言わんばかりに自分を優先した。
変にプライドの高い難民だ。

更にその怪物な先輩は持久力が僕よりなかったため、野球は上手いが、
僕よりも疲れていた。そのことを感じた瞬間。

「殺すぞ」

と言われた。

風が吹いた。

僕と怪物な先輩の間に。うん、風が。風だよ?

その一瞬でこの後のことを考えた。
この怪物な先輩に、僕はセカンドからサードに送球しないといけない。
またはバッティング練習でこの怪物な先輩に投げないといけない。
または、部室に呼ばれて単にボコられるかもしれない。
僕の死因は「コップ死」か。
知ってましたか?ウォータージャグで人って死ぬらしい。

「コップ死」

もうプレッシャーに、

一瞬、「こ、こ。殺してください!」
と言いそうになったが、というより言おうとしていたが、口が

「すみませんでした!」

と全力で謝り、
もちろんプライドを持っていたウォータージャグの列からは抜け出し、
死ぬほどの思いだが、2分早く次の練習に走っていった。

その後の練習は、実際に自分が死んだような感覚で、生きている心地がしなかった。あんな怖い怪物な先輩のコップをなぜ弾き返したのかさえ分からない。その後2週間は怪物な先輩が夢に出てきた。

優しいかった先輩
その先輩が卒業した後、僕たちが最高学年の夏の練習に先輩が来てくれた。
その先輩が、

「お前の守備はすごい、お前がレギュラーになれ」

と言われた時、嬉しさと感情の混乱から、
思わず「こ、こ。殺してください!」と言いそうになったが、

今度は、「ありがとうございます!」と言って終われた。

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