わかりたい、わかりあいたいから聴ける きみトリ×ラーンネット 10代とトリセツをつくる授業 第4回レポート
きみトリプロジェクトの高橋ライチです。
神戸のオルタナティブスクール「ラーンネット・グローバルスクール」さんとの協働で、思春期クラスにて10代の皆さんと一緒にトリセツをつくる授業に取り組んでいます。
初授業のようす
通年授業について
1学期 1回目授業 イヤだとOKについて
1学期 2回目授業 イヤだとOKのトリセツ発表
2学期 1回目授業 心の声を聴く
2学期 2回目授業 心の声を聴くトリセツ発表 ←今回の記事です。
多様なトリセツ
前回の「心の声を聴く」授業を経て、心の声(=感情や、その奥にあるニーズ)について、または聴くことについてなど、テーマ設定も発表形態も自由に「自分の興味のあるテーマでトリセツ(自分なりの取扱説明書)を作ってね」と投げかけてありました。
当初の授業予定では、2学期2回目はオンラインで発表をきくことにしていました。が、前回の授業を終えてみて、都合をつけて現地に伺うことに変更しました。
大きく見晴らしのよい窓の外は、すっかり木々の葉が落ち、秋から冬へと移り変わっています。これから雪が積もるという六甲山。ホールは結構寒く、私もダウンを着たり脱いだりしながら過ごしました。
真冬にはスキーウエアを着たまま授業を受けて、休み時間に外へ飛び出す人たちもいるそうです。聞いただけで生き生きとした命の躍動を感じます。
さて、この1か月のあいだに、感情や、ニーズや、聴くことのトリセツが作られていました。
※前回学んだ内容についてはこちらの記事をご覧ください
一部を紹介すると
■感情
・イライラのトリセツ
・いろんな感情のトリセツ
・ストレスのトリセツ など
■ニーズ
・信頼のトリセツ
・自由のトリセツ など
■聴く
・聴くのがむずかしいときのトリセツ など
各自がテーマを決めて、自分なりの掘り下げ方(自分に起きていることを観察、身近な人にインタビュー、他国のケースなどを調べて盛り込む など)で、トリセツを準備していました。
合間に制作のための時間を、全員一斉にはとっていないそうです。前回欠席の人には録画の共有と、ワークの体験をナビゲータ(ラーンネットでは、学びのナビゲートをする役割の人を「先生」ではなくこう呼んでいます)がやってくださったということです。
それでもこんなに多様で主体的なアウトプットが次々と出てくるなんて、圧巻でした。
授業の意図
通年授業で私が意図していたこと。
トリセツを1つ作っておしまいではなく、お互いのトリセツを聴き、自分のヒントにしたり、質疑応答からさらに内容を深めていくシェアの時間までを含めてトリセツ授業だと考えています。
そこまでやってはじめて、授業の後の長い人生においても、何か難しいことに直面した時にトリセツを作ってみる・作り直してみることが選択肢になると思うからです。
授業は2回だけど、あいだの制作期間を入れて3段階。
①1回目の授業:新しい概念に出会う
②制作期間:個人探究とトリセツづくり
③2回目の授業:発表と質疑による掘り下げ
この③の掘り下げをどういう風に進めたらいいかなあ、と思案しました。ここはとにかくライブで起きることから、掬い取れるようにしよう。と決めて、レジュメではなく何も書いてない白い紙を配って、メモを取ってもらうことにしました。
普段、対話の時間はメモをとらずに行うことが多いそうですが、13人分を続けて聞くと、最初のほうの発表を忘れてしまいそうでもったいないなと思い、そのようにしました。
メモのヒントとして
「!」= 面白い!驚き・発見・感動ポイント
「?」= 疑問が浮かんだこと
の2点をメモしていくといいよ、とすすめました。
結果、ひとりひとりのメモを見て回りたいくらい、みなさん真剣に手元のメモに書き込みながら発表をきいていました。
時間が足りない!
最初は発表ごとに質疑を入れようとしたのですが、じつに活発に質問が出るので、このままいくと終わらない!となりました。なので後半は、全員発表を終えるまできいてから、メモをみながら質疑をやろうと変更しました。
このプロセスがあったおかげで、途中、発表に時間がかかりそうになると、ちゃんと仲間から先を促す声がかかり、私からは1度も急がせることなく進みました。なんとか時間内に発表と、10数分の対話、最後に私が5分くらいお話する時間をいただいて、40分×2コマの授業を終えました。
本当は、あと1コマはあってもよかったかもしれません。ただ、「時間が足りない!」という実感が、「みんなのトリセツ面白い!」「もっと感想ききたい」「質問したい」という意欲を残して終わったとしたらこれはこれで意味があるのかもしれません。
ここにいるメンバー全員が多様だから、多様なトリセツができた。そのあらわれを実感しながら聴き合う時間。この貴重さに、胸を打たれっぱなしでした。
対話の時間に出てきたこと。
多様だからぶつかることもある。そのときに、お互いの感情の奥にあるそれぞれのニーズに思いを馳せることができる。でも、傷ついてる最中に、わかりあう気持ちになれないとしたら、傷ついていない第三者が、ニーズ(=地面の中に隠れているお芋 ※前回の授業参照)を掘るお手伝いができるかもしれない。
ニーズは共感しあえる、誰もが持っているものだけど、優先順位がその時々で変わってくる。そのときにすれ違うことがある。
最後の5分で私が伝えようとしたのは、あまり整理しきれてないのですが、以下の3点です。
・多様だからこそ、違う見方を教えてくれたり、得意を分担できたりすること。
・違いを変えさせるのでなく生かし合うことができるのが「聴く」力。聴くと13人いたら13人分の知恵を分かち合えるということ。
・人間はそうやって進化してきたということ。
どこまで伝わったかはわかりませんが、私の言葉より、もうすでに仲間の発表から、みなさんは多くのものを体で受け取っていたと思います。
わかりたい、わかりあいたいから、聴くことができる
みなさんがトリセツのテーマに選んだこと、内容、ほかの人の発表への質問、あとからいただいた感想、その端々から「もっと相手をわかりたい、わかりあいたい」というまっすぐでシンプルな望みを感じました。
私は普段「話の聴き方」を講座として提供していますが、「やり方」だけでなく根底に「わかりたい、わかりあいたい」という望みを持っていることが重要なんだ、とあらためて気づかせてもらいました。
だから、聴き方を伝えるにしても、きっとその人がもともと持っている、シンプルな「わかりたい、わかりあいたい」という望みにつながることを一番大事に、忘れないようにします。
そして、【まだ「わからない、わかりあえていない」状態のときにも、互いの存在をそのまま受け入れ、ともに居る力】もまた尊いと教えてもらった時間でした。
おまけ 写真でラーンネットの空気をおすそわけ
ホールの横にキッチンがあり、ポットのお湯や電子レンジなどが使えます。ランチタイムは、教室でもホールでもテラスでも外でも、好きなところで好きなものを食べています。まるで職場のお昼休みみたいでした。
とにかく「きまり」と「一斉に」が当たり前だった自分やわが子の小学校時代と比べると、まったく違っていて新鮮でした。違いが当たり前で、自分で考えて動けるようになっていくには、本当はできるだけ「きまり」や「一斉に」をなくすことが有効なんじゃないかと思いました。
掲示されている俳句や短歌も、クリエイティブでユーモアがあります。
毛筆も、同じお手本の文字を真似して書くだけでなく、こんな風に作品を表現するための手段として書く時間もあるといいなあ。
ホールの脇にこんな小上がりもあって、学んだり過ごしたりする「スペースの選択肢」が多い印象です。壁に貼ってある「人を大切に 自分を大切に 物を大切に」は、「決まり」ではなく、立ち返る考え方の「根っこ」なんだなと感じます。
書いていると、また伺いたくなってきます。急な山道をぐんぐん上る、マイクロバスの運転士さんにもお世話になりました。
ラーンネット・グルーバルスクールの光学年(5,6年生)のみなさん、ナビのみなさん、一緒に学ばせてくださって、ありがとうございました。
またきっと、お会いしましょう!
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