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現代における預言シリーズ④ 神の声の聞き方と預言的な生き方とは

今日も預言的な内容を書きます。

私が個人預言を受けた10数年前に、預言をする同年代の友人に聞いた質問は以下のような質問でした。

「どうやって神の声を聞いてるん?」

「たとえば電車に乗ってて、前にいる人に対しても何かわかるん?」

「それはどんな声なん?」

そのような質問をしたのを覚えています。

当時の私は現代における預言的働きに対して無知であったので、神の声や個人預言について理解していなかったのです。

今では日本におけるこの分野に関して、ある程度は内情や実情、実践的な方法や危険性と注意すべき点を知る立場にあると思います。

預言や個人預言の分野で日本において先駆者として、長年活動されてこられた先生はロナルド・サーカ(Ron Sawka)先生であると思います。
サーカ先生は1990年代の半ばから預言的な働きを日本において開始されておられます。
サーカ先生は私の属する教会に何度も来たことがあるので、私も個人的にお話したこともあり、何度も個人預言を受け、預言の活性化の教えを受けたこともあり、サーカ先生の作られた預言の活性化のコースも学びました。
以前記事で書いた7月7日の私の長女の生まれた日のカンファレンスも実はサーカ先生がゲストスピーカーであった日でした。
今は少し違う流れですが、10年前は良くお世話になりました。

サーカ先生とは別にもう一人私が預言を学んだ先生を紹介したいと思います。デニス・クレイマー(Dennis Cramer)先生です。
デニス先生は世界的に有名な先生で、彼の予定は数年先までびっしり埋まっているそうです。書籍も4冊が世界的に出版されています。
デニス先生はまだ世界中のキリスト教会が現代における預言者や預言的働きをほとんど認知していなかった時から、神から語られて預言的な働きを始められた、本物の先駆者・パイオニアの方です。
現在では預言のスクールを運営し、国々に熟達した預言のミニストリーの実践的な教えを提供されている先生です。
デニス先生の預言のスクールは合計20数時間は受けたと思いますが、本当に深く、鋭い洞察に満ち、尚且つ全て実践的な教えで、深く驚嘆しました。

上記の二人の先生は預言者として按手・任命されており、国々に預言的な働きをされています。

感謝なことに、神の恵みにおいて、私はこのような素晴らしい先生方から直接何度も預言を受け、また預言を学ぶ機会を得れたのです。

10数年前に、私が質問したような疑問を持たれる方も多いと思いますが、神の声とは通常、私たちの耳で聞くものではありません。
そうではなく、私たちの思考する世界、思いの領域に入ってきます。
以前の記事でも書きましたが、私たちは日々、神の国と悪魔の国の両方の声を思いの領域で聞いているのです。

また個人預言を行う人や、現代の預言者が人の内側を見る力があったり、何か超能力を持っている訳ではありません。
何を語るかは聖霊である神が導き、愛を動機として、信仰で行うものです。
内容には裁き・強制・批判が入ることはありません。
逆に圧倒的な神の愛と恵み、憐れみや励ましを感じられる方がほとんどです。私も多くの方が個人預言を受けて神の愛を感じ、涙を流す光景を見てきましたし、私自身もいつも預言によって励ましを受けています。

そして神の語り方は人によって様々です。デニス先生は白黒のスナップショットのような絵が見えて、信仰において語る時に、それが続いていくと語っていました。ある人はビジョンが見え、ある人は匂いがしたり、体の一部に何かを感じる人もいます。私の場合はよく神の視点での励ますメッセージが思いの中に来ることが多いです。

そして普通は神の声は大きい声ではありません。小さい声、小さい印象、小さい感覚なのです。以下にエリヤが体験した神の声の描写があります。

主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風邪の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。
地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。
第一列王記19章11,12節

神の声とは多くの場合このようなかすかな細い声なのです。
逆に悪魔の声は大きく、はっきり聞こえます。
人が怒ったり、喧嘩したり、犯罪を犯す時の思考は悪魔の声で満たされた状態と言えます。
聖書で人は罪に走るのに早いとある通りです。

今実際的な世界でも神の国と悪魔の国の戦いは激しくなってきています。ニュースでもそれらは確認できる程に顕著に表れてきていますし、より深いニュースソースをお持ちの方は今世界で起きていることがコロナ以前とは比べ物にならない程になってきているのを感じていると思います。

しかしそれらの目に見える外側の戦いも、目に見えない内側の霊の領域から戦いが起きているのです。(エペソ6:12)
霊の領域での戦いの結果として生み出されるものが、外側の現実世界で具現化します。

霊の領域の思いの世界で個人個人が悪魔の国に勝利することが、結果的に地上に神の国を拡げることになるのです。

以上の点からも神の声を聞き分ける能力は今後とても重要になってきます。

霊の領域で悪魔や罪に勝利しない状態では、外側でいくら戦っても効果的に戦うことは出来ないのです。

そして戦いの力は神により頼まなければいけなく、地上においては聖霊の力によって可能になります。

なので悪魔とその国と決別するのであれば、神の新しい契約の仲介者であるイエス・キリストの十字架の御業が必要になります。

その契約がなければ、聖霊が霊に来ることがなく、霊から来る神の声と力を受け取ることも出来ないからです。

つまりクリスチャンになることも、キリスト教徒になることも天国行きのチケットを手にするゴールではなく、地上における本来の創造の目的に回帰するスタート地点としての通過点でしかないと私は思っています。

これは本来の意味においては、宗教というカテゴリーを超えるものであり、教会や教団という組織を超えるものであるのです。

教会に行くことも、祈ることも、聖書を読むことも、それをすること自体が本質的な意味を持つのではなく、聖霊に導かれて、聖霊と共に、聖霊にあって行うことが本質的には意味を持つのです。

つまり地上において預言的に生きることが本来のクリスチャンとしての生き方であると私は思います。

アダムも神と親しく語りエデンの園を管理していました。

イエスも天の父なる神のすることを見て、行い、天の父の語る事だけを語ったと言っています。(ヨハネの福音書5:19)

私たちもこの時代にあって預言的な民として、地上に神の声と力を表す為に存在していると私は思っています。

2020年、今が日本の時です。

今日の見出し画像 (日本海をパシャリ)

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眞鍋 保
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