「エンタメ」としての「イジり」の話。
今日は、以前クリップしていたこんな記事から。
個人的に印象に残ったのが、この部分。
AKBであれば柏木さんだし、
乃木坂であれば(先日卒業されましたが)新内さんだったり、
とりわけ「最年長」となれば、とかく年齢をイジられることも多くて、
当人はもうそれを自分の特長・強みにすらしている部分もあったし、
ファンもそれを「定番ネタ」として微笑ましく見ているけれど、
傍から見るとやっぱり気になるところもあるよなあ、と。
なにより、そういったもの(今回の場合は年齢)が「定番ネタ」になる、特に意識されず使われるようになることによって、
まさに「アンコンシャス・バイアス」=「意図せぬ偏見」というものが、本当に意図せず、当人たちがまったく意識しないところで生まれていることもありうるのだろうし、
つくづく「表現」って難しいなあと思います。
柏木さん、AKBのことはあまり深く知らないので、
ある程度知っている新内さんを例にとると、
新内さんの「年齢」ネタは、「イジる側」バナナマンさんやスタッフと「イジられる側」新内さん本人の関係性、信頼関係で成り立っているし、
特にバナナマンさんのことですから、新内さん本人が徒に傷ついたりすることがないように、ちゃんと画面外で様々な気遣いがあった上での「イジり」だったのだろうと思います。
ただ、画面内に映るやりとりが、いかに当人同士の了解の元に成り立っていたとしても、
それが広く放映されてしまう以上、それは「内輪」のこと以上に影響を与えてしまうし、知らず知らずのうちに、私たちの考え方や行動にも影響を及ぼしてしまっているのかもしれない。
もちろん、エンタメはエンタメとして楽しんでいいし、
視聴者を楽しませようという「イジり」なのだから、それは不謹慎とか思わずに、全力で笑って、楽しんでいいのだけれど。
ただ、画面の前から離れて、日々の生活に戻った時に、あれはテレビの中のひとつの表現なんだ、
必ずしも、あれと同じ態度・対応を、私たちが日々の日常生活の中でとっていいわけではない、ということには自覚的でないといけないし、
そうでないと、意図せず誰かを傷つけてしまうことがあるのかもしれない。
そこは、ちゃんと気をつけていないといけないし、
日々何かを表現する側としても、その表現を受け取る側としても、常にどこか意識の片隅に置いておかないといけないのだろうと思います。