「気遣い」のための思考回路。
今日出社すると、同僚の方がどうも体調が悪そうで。
結局、午後から病院に行くというので早退されたのですが、
朝からなんだかつらそうにしながら仕事をされていました。
私の会社は今も在宅勤務中心で、日替わりで2,3人が事務所に出勤するというスタイルのため、今日事務所にいたのは私とその方の二人だけ。
私は、ふと何名かの他の社員さんのことを思い浮かべて、
もしあの方が今日出社されていたら、
きっと何かしらその方へ気遣いして、少しでも負担がないようにするだろうなあ、と思い、
私も何かできることがあるだろうか、と、ひとしきり考えてみたのですが、
これがまあびっくりするくらい、何ひとつ思い浮かばない…。
他の社員さん、あの方なら、絶対何かしらの気遣いをしているはず、
ということは、絶対何か私にも今とるべき行動があるはずだ、と思っても、
果たしてその行動とは一体何なのか、さっぱり見当もつきません。
そんなこんなで、「体調大丈夫そうですか…?」と、とりあえず表面的な声掛けをするのが精一杯で、
自分の気の回らなさに、ほとほと嫌気が差してしまったのでした。
前の職場でも今の職場でも、きまってだいたい女性だったりするのですが、
「この人はなぜこんな気が利くのだろう?」と、私の想像力の範疇を超えるくらいの気遣いをされる方がいらっしゃって。
傍目から見ていると、確かにそうされると嬉しいし、助かるよなあ、という行動なのですが、
いざ自分がその立場になったとき、同じ行動がとれる気が全くしないし、
なんなら普通に気づきすらしないだろうな、という場面がとても多いように感じます。
前の職場に来るまでは、正直そこまで気にしたことはなかったのですが、
そうやってめちゃめちゃ気が利く人が近くにいてはじめて、
「自分ってなんでこんなに気が利かなすぎるんだろう…」と思い始め、
今更ながら自分の鈍感さを痛感するようになりました。
きっと、自分では気づいていないだけで、今振り返ればいろいろ損をしてきた場面が過去にもあったのだろうな、と…。
そういう周りの人たちを見習って、
自分も少しは周りの人を思いやれる、気遣いができる人になりたい、と多少なりとも意識をし始めたはよいのですが、
冒頭の話に戻って、いざそうしようとしても、自分では「気を利かせる」べきポイントが全くわからない、ということに気づくのには、そう時間はかからなくて。
おそらく、小さい頃からの習慣、積み重ねというのも大きくて、
今までまったく意識してこなかったものを、いきなり意識しようと思っても、なかなかその思考回路というのは、一朝一夕には身につかないのだろうな、と思います。
数学的思考、とか、論理的思考、みたいな話はよく聞きますが、
同じように、「気遣い的思考」みたいな思考回路があって、
それこそ育ってきた環境や周囲の人間関係次第では、好まずとも身につくこともあるのでしょうが、
そうでもなければ、もはやこの歳になると、日々意識して、訓練でもしない限りは身につかないのかもしれない。
できない自分を自覚するのは、決して気持ち良いことではないですが、
それでも明日からすぐにできるようになる方法などないのだから、
少しずつ、日々意識していきながら、徐々にその感覚を身につけていくほかないのかな、と思います。
何事も、千里の道も一歩から、ですね。