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人気ギタリストに聞く!プロを目指す上で大切にすべきこと【養父貴先生対談 #02】


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今回は、ギタリストの養父貴先生と、サックスプレイヤー、沢井原兒先生の対談、第2回目の様子をお送りします。

養父先生は、バークリー音楽院でギター、作・編曲を学び、帰国後は渡辺貞夫、ウィル・リーなど、国内外問わず多くのアーティストのツアーやレコーディングに参加されている人気ギタリストです。
また最近のご活動として、2021年5月15日に、参加されているギタートリオ「3 Sides Live」のファーストアルバムをリリースされました。

対談では、養父先生がバークリー音楽院に入学するまでの経緯や、帰国後のお仕事、また音楽に対する考え方などについて、貴重なお話を伺っていきます。
ぜひ最後までお楽しみください。
(以下、敬称略)

【対談者プロフィール】

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養父 貴(ヨウフ タカシ)

1998年に渡米しバークーリー音楽院に入学、ギターと作・編曲を学ぶ。
2009年からは渡辺貞夫グループに参加し、国内のみならず海外各国のジャズ・フェスティバルでも多数演奏。
現在までにデイブ・グルーシン(P)、ウィル・リー(B)、アダム・ホルツマン(Key)、伊東たけし(Sax)、倖田來未、 mihimaruGT、鈴木雅之、上田正樹、平原綾香、相川七瀬、等のレコーディングやツアーに参加。
ジャンルの垣根を越えた幅広い活動を行っている。
2005 年には 1st ソロ・アルバム『Feelin’Right』 を発売。
音楽関係紙への執筆も多く、リットー・ミュージック社より教則本『ギタリストのための全知識』『ギターで覚える音楽理論』を出版、好評を博す。




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沢井原兒(サワイ ゲンジ)

20代より多くのジャズバンドに参加。
アルバムのプロデュースは40枚を超える。
矢沢永吉/RCサクセション/鈴木雅之/加山雄三/今井美樹/米倉利紀/REBECCA/中村雅俊/上田正樹/シーナ&ロケッツ/吉川晃司/小林克也 他、Stage Support / Produceを行う。
インストラクターとしてはヤマハ、音楽学校メーザー・ハウスなどで40年以上。現在は株式会社MOP代表、IRMA役員。


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\前回の対談はこちら!/

前回は、養父さんがギターを始められたきっかけや、バークリーに入学されるまでのお話を中心にお話いただきました。
今回も引き続きバークリー時代のお話をお伺いするのに加えて、帰国後のお仕事についても語っていただきました!

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沢井:やっぱり、バークリーで習ったことは、自分の今の音楽の基本となる部分に貢献していますか?


養父:貢献していますね。正直「日本に帰ってきてから、仕事の現場で得られたことと、バークリーで得られたことのどちらが割合的に大きいか」と言えば仕事で得られたことの方が大きいんですけど、礎となっているのは確かです。

沢井さんとも「バークリーシステム」というものについてはよく話しますが、すごくメソッドが確立されているんですよね。それがすごく衝撃的だったし、とても頭の中が整理されましたね。


沢井:なるほど。バークリーの先生は、一流のプロなわけですよね?


養父:そうですね、ただやはり時期によって講師がアタリの時期、ハズレの時期があるというのは生徒の中でもよく言っていて、実は僕が行っていた時期はあまりアタリの時期ではなかったんですよね。
有名な話ですけど、パット・メセニーが教えていた時期もあったんです。

実は、メセニーはバークリーに入学したものの、上手すぎてすぐに先生になっちゃったっていう話があるんですよ。
まさに(※)大久保さんがバークリー行っていた時期にパット・メセニーが教えていたんですが、女の子が泣きながら教室を出てくるくらい、厳しい教え方をしていたみたいですよ。

※養父さんが学生時代に習っていたジャズ理論の先生


沢井:そうなんですか!その当時、ゲイリー・バートンとかもいたんですか?


養父:ゲイリー・バートンは、確か僕の時にはもいういなかったですね。


沢井:じゃあその前にいたということですね。


養父:そうですね、ゲイリー・バートンが教えていた頃は、優秀な生徒を引き抜いたりしていたみたいですね。僕の時はギターの先生はあまり著名な方はいなかったんですが、僕の後にまた著名な先生が入ってきたりしたみたいです。


沢井:バークリーに通っていた頃、日本に帰ったらこうなるぞ!っていうような将来の目標とかあったんですか?


養父:そういう具体的なビジョンっていうのは正直なかったんですよね。
「自分は本当にプロになれるのか」って不安になりながら練習をしていたんですけど、ただひとつ考え方として持っていたのは、「1番になればいいんだ」というところですね。
とにかく1番になれば、仕事はあるだろうという考え方で頑張っていましたね。


沢井:なるほど。日本に戻ってきたときに、日本の状況とアメリカの状況を対比してみることもあったのではないかと思いますが、その当時の日本の状況はどのように感じましたか。何年くらいに日本に戻られたかも聞きたいです。

養父:完全に戻ったのは、92年とか93年とかですかね。
実は2年バークリーに行って、親に「とにかく1回でいいから顔見せろ」と言われて、1回帰ってるんですよ。

それで日本に帰ったタイミングで、楽器屋でギターの試奏をしていたら「あなたギターうまいですね、仕事に興味ありませんか」って言われて、仕事を少ししたんですよ。

それがいわゆるROLANDとかのデモ演奏をする集団がいる会社で、島村楽器の子会社だったんです。
その会社が楽器屋で網を張っていたみたいで、そこで僕が網にかかって1年半くらいデモ演奏の仕事とかをやっていたんですよ。

沢井:じゃあそれがプロになるきっかけだったんですか?

養父:きっかけですね、でもまたバークリーに戻りたくなっちゃって、若いので仕事の流れとかも考えず「すみません、やっぱり戻ります」って言って戻ったんですよ。
それでまた親の体調が悪くなって日本に帰ってきたときに「戻ってきました、仕事下さい」みたいな感じの酷い人間でしたよ(笑)

沢井:でも若いときは思うように生きたいですからね(笑)

養父:そうなんですよね。

その後メーザーハウスで教える前に、ある音楽教室で音楽理論とイヤートレーニングを担当していたんですけど、やっぱり生徒の音楽に対する考え方があんまり良い状態じゃないなと僕は思いましたね。

理論に対しても、すごく決まり事であるのような教え方をされてきちゃったみたいで、理論の本質って本来は「音楽は自由である」っていうことを確信するためにあると思うんですけど、そういう教え方をされてないから、みんな拒否反応起こしちゃってたんです。

「うわこんな感じなんだ、日本は。音楽理論を学ぶとものすごく音楽性が広がるのにもったいないな」とすごく強く思いましたね。
それで日本の状況を変えたくて、リットーミュージックから「『ギタリストのための全知識』っていう本を書いてくれ」と言われたときに、日本の教則本ってすごく堅苦しい感じがするのに対して、アメリカはすごく柔らかく本質を教えるということが上手だと感じていたので、僕もそういう本を書きたいなと思って、思いの丈を詰め込んだというところはあります。

沢井:リットーミュージックで教則本を手掛けたのが90年の半ばくらいですか?

養父:僕が書き始めたのが26でしたね!

沢井:若いですね!

養父:そうなんですよ、若いときに偉そうなこといっぱい書いちゃったんですよ(笑)
ギャグっぽい口調なんだけど本質をついたような内容にしたいなと思って。

沢井:私、リットーミュージックの会社設立時の株主だったんですよ。

養父:それ、この前聞いてびっくりしましたよ!

沢井:その当時のリットーミュージックで出す本の会議とか出てました。

養父:すごいですね!沢井さんは、日本の音楽業界のフィクサーですよね。
俺が通ってきたところの全部の裏に沢井さんがいるっていうの聞いて、びっくりしています。

沢井:いやいや!それが何でかっていうと、私は最初にヤマハで貞夫さんなんかに習っていたので、そこが関係しているんですよ。リットーの社長もその当時はヤマハで貞夫さん担当だったりしてて。
養父さんが言う人脈、人間関係から「こういうのやってみない?」というところに繋がっていくんですよね。
リットーミュージックは10冊くらい作ったかな。

養父:僕も何冊か沢井先生の名前が書いてある本もっていますよ。

沢井:そういう意味で言うと、私も本を描き始めた頃は20代半ばくらいかな。
今読み返してみるとその当時よく書いたなって思いますね(笑)
でも内容はちゃんとしたことが書いてあるから、「その当時からわかっていたんだな」って思います。
養父さんもそう感じたりしますか?

養父:基本的に、考え方はその当時から全く変わってないなって言うのはありますね。
だから、今考えればその当時から音楽に対する思いや信念が自分の中に正しい形であったというのが良かったな、と思います。

沢井:なるほど。デモンストレーション以外の仕事を日本でやるきっかけは何だったんですか?

養父:結局僕は、今もそうですけど、どこの事務所にも所属しないでフリーでやってきているので、完全にミュージシャンの推薦ですよね。
同業者に「養父がいいんじゃない?」と紹介してもらって繋がっていく感じでした。
デモ演奏の仕事をやっていると当然いろんな人と出会うじゃないですか。
そういった時に知り合って、「いいね、君」というような感じで広がりましたね。
それこそメーザーハウスにいらっしゃった篠田元一さんとかと出会ったのもデモ演奏ですし、メーザーハウスやリットーミュージックを紹介してくれたのも、実は篠田さんなんですよ。
あとは、光田健一さんっていうキーボーディストとも出会いました。

沢井:光田くんはよく知っていますよ!
私は今井美樹のバンドマスターを5年くらいやっていたんだけど、光田くんにもやってもらったことがあります。

養父:その時期ですか!
そうですよね、光田さんは今井美樹さんのサポートもされてましたよね。
いやぁ、沢井さんすごいですね。本当に全部関係していますね!

沢井:いやいや(笑)いろんな人と関係しているからね。
でもさっきおっしゃったように、繋がりももちろん大切だけれども、自分自身のアイデンティティを持っていないと広がっていかないじゃないですか。
アーティストパワーっていうものがないと人脈が広がっていかないんじゃないかなと思いますけどね。

養父:それは本当にそう思いますね!
生徒に「仕事とるにはどうしたらいいのか」って聞かれた時に、なかなか難しい問題ではあるんですけど「自分でそういうこと言っちゃうのはいけないけど、みんなプロになる人たちって信じられないくらいずば抜けてるから」って答えるんですよ。

「うまい人はいっぱいいるけど、その中でも飛び抜けてたから仕事になっているんだから、それくらい実力がないとダメだよ。他の先生にどういう人生だったか聞いてごらん」って言うんです。

多分そうやって先生に聞いてみると、みんな「それって自慢話じゃん」っていうような内容が返ってくると思うんですけど、でもミュージシャンってそういうことじゃないですか。
やっぱりものすごい良いから声をかけられるんですよね。
あまり自分ではそう思ってはいないですけど、でもやっぱり過去を振り返ってみるとそういう風なことから呼ばれんだ思うんですよね。


沢井:そうですね、本当に自分の個性を表現できる、その人にしかないものっていうものを持っていると声をかけられるんだと思いますけどね。


養父:そうですね、だから良く言いますけど「キラリと光る」というのものがすごく大事なのかなと思います。
そういう意味でも、僕は人間的には本当にはっちゃけてましたけど、そういったところが音にも出ていたんだと思うんですよね。


沢井:なるほど。日本でも仕事が増えてきた時点で大体、「俺はジャズギタリストだ」とか「ロックギタリストだ」とか「フュージョンギタリスト」とか代名詞的なものがついてくるじゃないですか。
そういういう意味で言うと、養父さんのジャンルは何になるんですか?


養父:いや、本当にそれは難しいんですよね。
本当に僕はごちゃ混ぜギタリストで、みんなに「養父はわかりづらい」とよく言われるんですけど、でもやっぱりフュージョンだったんじゃないかと思いますけどね。
ただ、セッションで本数が多かったのはそういうジャンルでしたけど、時期によっても結構違ってきて、最初の頃はフュージョンみたいな感じでインストでデモ演奏をやっていたんですけど、歌ものの世界に引っ張られている時はそればっかりやっているようなこともありました。


沢井:なるほど。楽器をやってると、自分の好きなアーティストのコピーをしたりすると思いますが、養父さんもやっていましたか?


養父:もちろんいっぱいコピーしました。
基本的には海外ギタリスト大好き人間なので、そういうのばかりやっていましたけどね。


沢井:1番好きなギタリストは誰ですか?


養父:1番は難しいですけど、みんなから僕が1番影響を受けているギタリストと評されるのはロベン・フォードだと思います。


沢井:ロベン・フォードもジャンルがわかりにくいですよね。


養父:そうなんですよ、そういうどっちにも行けるというような感じが僕は多分好きなんですよね。
世間の評価としてそれが良いか悪いかということは、なかなか評価しにくいから難しいんですけどね。


沢井:でも「ロックギタリスト」とか「ジャズギタリスト」とかいうことは、基本的に他人が決めることで、自分はやりたいことをやっているということだけでいいんじゃないかなと思いますけどね。


養父:本来はそうだと思って、そういう感じで僕もやっているんですけどね。僕はカテゴライズするのに1番難しいタイプみたいです。


沢井:なるほど、分かりました。

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お話が盛り上がってきたところではありますが、今回はここまでです!

「自分の中のキラリと光るもの」「自分自身のアイデンティティ」というものが一体なんなのか、なかなか見出せないこともあると思います。
しかし、対談中にお話されていた「自分はやりたいことをやって、ジャンルや代名詞は基本的に他の人が決めるもの」ということから考えると、今はわからなくても「自分のやりたいこと」を貫くことでそこから「光るもの」や「アイデンティティ」が生まれるものなのかもしれないですね。

壁にぶつかった時は、自分の好きなことを改めてとことん突き詰めてみる!というポジティブな選択肢も取り入れてみようと思える貴重な対談回でした。

次回もお楽しみに!

\番組では、みなさんからの質問を受付けています!/


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