「うちに来れて、よかったね」なんて
そう。
おこがましいのである。
「そのシングルマザー親子は、まなさんのシェアハウスにこれて、ほんとうによかったですね~~!」
と外から見ている人に言われることがある。
いつもお腹の底に、石を投げられた気持ちになる。
硬い物が私の喉を通過する。嫌ではない。
ああ、そう見えるのか。
確かにそうかもしれない。
遠くから私が私を、不思議そうに眺めている。
確かに、お母さんからも言ってもらったり
子ども達からもそんな声を聴いたこともある
もちろん逆の意見もある。
さまざまな家庭環境の子どもたち。
そのお母さんたちも
育ちも私にたどり着く経緯もさまざま。
虐待を受けていたり
兄妹間差別があったり
いわゆる"毒親"で育ってきたまま"お母さん"という役割になった人もいる。
子どもの頃からの重いこころの荷物を
目いっぱい背負いながら
その上にまた何重もの重い物を乗せている”お母さん”に出会う。
負荷のかかった子育ては
他人に攻撃的になり
自分を痛めつけることもある。
”お母さん”たちの、重荷をおろし
休める場所、
休める時間がない。
それは外部要因もあるし、
習慣化された思考のクセもある。
子ども達は親からの影響をもろに受ける。
ちいさく、閉鎖的な家庭で
浴びる言葉が、その子の人格をつくっていく。
はやくしなさい
なんでできないんだよ
いいかげんにしろよ
おまえがわるいんだろ
だからおまえがきらいなんだよ
そんなんだからあなたとごはんを食べたくない
誰が金払ってると思ってるんだよ
そういう言葉が耳に入った時
私の心の行き場が、わからないことがある。
頭やお腹の中に、モワモワした物が現れる。
言葉で断定しきれないモワモワ。。。
その上に、他人からの言葉の小石が放り投げられてくる
「シェアハウスに来れてよかったですね!」
私にできるのは目の前のひとの、”今”を受け止めることと、
自分の気持ちや、変化を観察すること。
端的に善悪をジャッジしないこと。
ただの大家の私が、
「うちに来れて、よかったね」なんて。
おこがましいよな、と思いながら。