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原点にかえる

以前、わたしはすぐにイラついていた。
そんなわたしに師匠が
「腹がたったときには
『無礼講じゃ、よきにはからえ』
と思いなさい。」
と教えてくださった。

相手と同じ位置にとどまるな
もっと高い位置にいろと教えてくださった。

『無礼講じゃ、よきにはからえ』
と思っていると、もちろん腹が立つことは無くなるんだけど、
それ以上に、素直になれた体験がある。

師に大きな声で情熱的にご指導をいただいた時に
いつもなら
「わからんもんはわからんわ!」
「できんことはできんわ!」
「やりたくねーし、わたしには無理!」
と頭の中で反発していた。
当然、自分の思いは表情・態度という形をとって現れるので
師には見てわかりやすく、またさっきよりもひどく怒鳴り散らされる。

そんな時に
『無礼講じゃ、よきにはからえ』と思った瞬間に
師の言葉を素直に受け取れる自分がいた。

例えば
師の講義中、突然!
「偉そうな!態度をするな!そんな態度をしていいのはオレよりレベルの高い人だけだ」と言われて
「は?偉そうにしてないし!見え方の問題ちゃーうんか!」と思っていた。
いつもなら
「わたしにだけ、言うな!じゃ、こいつらはテメーの満足いく態度なんか!わたしとこいつらとどう違うのか言え!レベルの高い、低いの基準を言え!差別していいいんか!」と思っていたけど、
その時に
『無礼講じゃ、よきにはからえ』と思うと
なんの思考もなく、素直に
「おっしゃる通りですね」「わたくしの態度が悪うございましたね」という思いが湧き上がり、素直に態度を改め、不快を感じさせてしまったことに心から詫びれた。自分でも「あれ?」と思った。
反発心が出ない。

なぜ?反発心が出るのか?
これは自我で対応するから。

『無礼講じゃ、よきにはからえ』
と言うと自我ではなく自己としての存在から
その状況を捉えることができる。

抽象度の高い位置から物事を俯瞰できているので
状況のコントロールが容易になる。
なんの思考もなく、すぐさま、こうすればいいんだ!と具体的なことがわかる。

今はわたしは人を導いていく立場にいるので
相手を同じ立場になって、相手から返された、そのままを返すことをする
自我を出してくるなら、同じ自我レベルで対応する。
そこで覚悟のある方なら、その自我レベルを抜け出すために
食いついてくるが、ほぼほぼの人は去っていく。
残念に思うが、その人がそう、望まれているからそれ以上には何も言わない。

詫びてきたとしても、自我レベルで詫びているのでこちらには何も伝わらない。
また何度も繰り返すのだろうな。
これもまた、この人が望むところなのだろうと思う。

先日、わたしを利用する人がいて
「わたしを利用するのをやめてもらえますか」
と言う言葉に
「そんなつもりはない」とのこと
本人は無意識でそうしているので、指摘しても自覚がない。
でも、
困った時だけに連絡する、答えが欲しい時だけに連絡する
結果だけを求める。
これってわたしを利用してませんか?
他の方々は常に連絡を取り合って、関係性を築いてます。
と、いっても相手の方は感性が落ちているので、何を言われているのかさっぱりわからない。

多分、パニックだろうなと思いやり取りを続けていくと
ある瞬間に答えを出さなくても相手が気づく瞬間がある。
なぜか?
自我レベルにいる人にとって、こららが自己の立場で対応していくと
自我レベルが引き上げられます。

そこで、ある覚悟ができてない方は
自己レベルから対応しても、自我を強化したいので
連絡が来ない、関係を絶ってしまう、遠ざかる。

ある覚悟とはなんでしょう?
「なりたい自分になる覚悟」です。

師が一番大事にしていたことが
「筋を通す」です。
自分の中に1本の筋を通し、相手の関係にも筋を通す。
筋を通す
わかりやすく言うと
「一貫性」
あなたの中に一貫性はありますか?

この時は感謝するけど、この時は文句を言う
◯◯になりたい!でもそんなことを言われるなら
逃げる、やめる、批判する

そういう一貫性になっていませんか?


今一度、原点を見直して欲しいです。
わたしと出会った原点はなにかな?を


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