▪️我執(がしゅう)

自己に対する認識が外界を媒介している事実は、自己をおあやふやで頼りないものに錯覚させ、不安を生じさせる。
そのような不安が自己を直接、認識したいと言う気持ちを起こさせる。しかし、これは事実上不可能である。

そこで、自己の代わりになる対象を探し、その対象を自己と同等に扱う事 いっぱいによって、その対象に自己の代表をさせようとする。つまり、自己の価値を対象に転移させてしまうのである。

当然、自己の価値を転移させた対象に対しては、その他の対象に比べて、自己は執着する。
時には、自己自身に対してよりも、その対象に対して執着する場合もある。文字通り、命より大切な存在なのである。
そのような執着を我執と呼ぶ 。

しかし、自己の代理になるような存在は、自己以外に存在しない一生を通じて直接、自分の目で見られないのは、自分の顔と背中である。自分が相手のことをどう思っているかわかるが、相手が自分をどう評価しているか、本当の所わからない。

確かに、鏡は自分の本当の姿を映し出してくれていると思うが、ひょっとして、世界中の鏡はすべて歪んでいるのかもしれない、そんな疑惑が生じたら、人間は、ひどく不安になるだろう。

そんな馬鹿なと思うかもしれないが、人間は、絶えずそれに類した不安に襲われている 。第一、鏡や自分の内面までは、映してくれない。体臭や口臭というものは、自分では気がつきにくい。又、人と話しているときの自分の顔もわからない。人に笑われても、その原因がなかなかつかめない。そんな不安の中では、人間は生きていけない 。
故に、この不安を何らかの形で解消しようとする。

一番いいのは、自覚をして自信を持つ事である。
しかし、自己が間接的認知対象である為に、それも難しい。
そこで、自己を象徴化し、直接認識できる対象に転移する事によって、その不安を解消しようとする。
そこに、我執の原因がある。

自己を転移する対象は、なんでもいい。実在するものでも、しないものでも、目的自体が自己を象徴化するものであるから、別段問題にはならない。
ただ、なるべくならば、直接知覚できて、安定したものの方がいい。その上、普遍的なものであるとなおいい。


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