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お天道様が見てる
一日のうち。
なにかしら書いていないと落ち着かない時がある。だいたい毎日その波が寄せてきては、曇天の海原みたいな心持ちになって、その薄墨色の雲のはしっこをきゅうっとつまんで、たまった言葉をぽとりと落としたくなるのである。
なので、もうお分かりかもしれないが。
ここに連ねるのは駄文である。随筆などという立派なものではないし、ほんらい書き散らしてゴミ箱へ放り投げるべきものなのかもしれない。
もし、この日記のような何かしらを読もうという稀有な御仁がおわすのなら、そのように思って、ひとつお付き合いいただきたい。
これだけ予防線を張っておけば良いかしら?
さて。
すこし前に矢違アキラ短編集其ノ弐を出版することができた。お求めいただいた読者様にはひたすら感謝するばかりである。御礼申し上げます。
ト。
あわせて、お世話になっている神社へも出版後、御礼のあいさつに参詣してきた。
小生が特に詣でるのは【大川神社】【奈具神社】【高田神社】という三社である。ほかにも好きで【大日神社】【高倉八幡神社】などにもよく参じるが、それはまた別のおはなし。
先の三社のうち【高田神社】というのが、小生の産土神(うぶすながみ)の神社である。諸説あるが、自分の生まれた場所より一番ちかい神社がそれで、生まれる前から死後までも見守ってくださる、そういうものである。繰り返すが諸説ある。その諸説はご自分で調べられたし。
なおこの産土神。どうも聞いていると氏神と混同されがちなようである。これもここでは触れないが、気になった方は調べてみてほしい。
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国道と田畑の境界みたいなところに建つ。
田畑側には森が、国道側には社のすぐそばを線路が走っている。だいたいこの細い農道を歩いて行くと、畑仕事をやっているお婆さんに会って、ちょっとばかり古い話などを聞いては「それじゃあ」なんてことで、神社へ詣でる。
名前も知らないが、そういうのがまた良い。
しかし田畑は、どこもそうなのであろうが耕作放棄地となっている場所が目立つ。ほたるの光も、もはや消えたものだろうか。夏のいっときに光る、あの緑がかった幻想みたいな火が、もはや過去のものになっているのだろうか。
ちいさな用水路は、まだきれいな水だった。
ただ、荒れた田のなかで、水がよどんでいた。
お婆さんに話を聞くと。
やはり、継ぐ者がいないらしい。
しかたの、無いことなのかもしれないが……。
高田神社。
祭神は天孫海部の系譜に連なる建田背命(たけたせのみこと)と、天鈿女(あめのうずめ)である。ザックリ説明すると、前者は仏教の蘇我氏に対して、いまで言う古神道をとなえた物部氏の先祖の系譜にある一柱。後者は天照大御神の天岩戸隠れの際に裸踊りを踊った芸能の神である。
小生、なにかあるごとに必ず上記の三社に挨拶へゆく。もちろん二月十九日の朗読劇前後も、天候を問わず御礼と挨拶へ参じたものである。
古神道すなわち自然信仰。
そして祖霊崇拝。
「お天道様が見てるよ」
「ご先祖様が見てるよ」
という、なんだか不思議な意識。
悪いことしてても、お天道様が見てるよ、いけないよ。人知れず良い行いをしてても、お天道様は見てくれているよ。なんだかいいものですね。
神社へ詣でて。
感謝と挨拶して。
自分と、ご先祖様と、世間様と、ひとりで静かにちょっと向き合う。
ご先祖様と、お天道様に。
胸を張って生きられていたら、いいな。
そう生きていけたらいいな、と。
授かる物語を、幻想を、至誠、真摯に、筆におろす日々です。
……ここまで書いて、いろいろ嘘書いてたらどうしようかしらと不安になりましたね。知識がいつの間にか別のに混ざってた、なんてことがたまにあって、もし変なこと書いてたら、そっと教えてください。