第5話:赤面症だった私が、なんでラジオDJに!?
自力でシンガポールのワークホリデービザを取得。
どうにかこうにか現地の日系メディア企業での
ラジオアシスタントのアルバイトの職をGET!
希望と不安をいっぱいに詰め込んだ
スーツケースひとつでシンガポールへ降り立った私。
高くそびえ立つコンドミニアムも
パステルカラーのカラフルな建物も
南国らしいヤシの木の並木道も
ほんのり甘く湿度の高い空気も
目に映る全てが新鮮で
キラキラと輝いて見えた。
全てのものから解放されて
ここから新しい人生が始まる
本当に生きたかったもう一つの人生が。
当時26歳だった私は、
そんな開放感でいっぱいだったんだよね。
シンガポールの生活にも少しずつ慣れ
地元の日本語放送局で
ラジオアシスタントとして働き始めた一ヶ月後
運命を変える事件が発生。
放送局で働いていたラジオDJが
突然失踪してしまったのだ。
海外の小さな小さなラジオ放送局。
日本のようにプロデューサーがいて
ディレクターがいて、音響の人がいて
多くのスタッフで番組をつくるのではなく
音源編集から、取材、選曲、ニュースの選定、
そして、当日の朝の生放送まで、
全てをたった一人で行うワンマン放送。
(機械に熱がこもらないよう冷蔵庫のように寒い地下のスタジオ)
ラジオDJという華やかなイメージとは裏腹に
早朝4時、まだ空には星が輝く時刻に一人スタジオ入りして
冷蔵庫のように寒くて薄暗い地下の放送局から
全て一人で生放送番組を届けるという、かなりのハードワークだった。
そんな小さなラジオ放送局にとって
突然、人が辞めてしまうというのは大事件なのだ。
全員が体力ギリギリで
何とか毎朝の生放送を回しているという緊急事態。
そこで、
たまたま新しくアシスタントとして
アルバイト入社した私に白羽の矢が立つことに・・・
っていうか
棚から牡丹餅が落ちてくることに!!!!!
「あのさ、冗談半分本気半分で聞くんだけど、DJやってみる気ある?」
大ベテランの先輩DJさんからの
あまりに突然の打診に驚きつつ
「は、はいっ!全力でやります。やらせてくださいっ!」
気づいたらそう答えていた。
目立ちたがりのくせに、人前で話すことが大の苦手
その上、極度のあがり症+赤面症!
そんな私にラジオDJなんて務まるのか…
勢いよく手を挙げたものの
内心張り裂けるほどの緊張で
心臓のバクバクが止まらなかった。
勢いよく上げたその声は、
きっと電波にのせる前から震えていたと思う。
でも
でも…
やってみたいっ!!!
その翌日から、スパルタトレーニングを受けて
二週間後に朝の生放送デビュー。
(地下のスタジオは、シンガポールなのにめっちゃ寒い!)
(なぜか金髪に・・・遅くやってきた反抗期?!)
(人生初のイベントMC)
アシスタントから、ラジオDJとしてデビューしたことで
アルバイトから、正社員として雇用していただけることになり
ワークホリデービザから、就労ビザに切り替わったことで
6ヶ月間の滞在予定が、そこからまた2年間、
シンガポールで暮らせることになったのだ。
人生って、本当に何が起こるかわからない。
>>>つづく
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