【徒然日記】大切なひと
【世界一周まであと〇〇日】
最近誕生日をむかえました。
歳を重ねるごとに、「おめでとう」とわざわざ連絡してきてくれることが
とてもありがたいことだと感じます。
いつも一緒にいるなら憶えていてくれるのは
そんなに難しくないかもしれないけれど、
全然違う場所にいて違う時間を過ごしているのに
ふとその人の過ごす時間のなかに自分の存在を思い浮かべて
その上連絡をくれるって、本当にすごいことだと思います。
人のために何かをするって、
喜んでくれるかな?とわくわくすることだけど
かなりエネルギーを使うことだと思います。
例えばプレゼント選びとかは、何が好きか何が欲しいか何なら喜ぶか、
思い出す課程からスタートし、どこの店なら売っているか探し歩き準備をする。
例えば、手紙やメッセージなら、今までの思い出を振り返ったり
何を話したか私たちになんか約束とかあったかなとかその人の好きなところを考えたり、頭をたくさん使います。
自分が受け取る立場だと、
「ありがとう」と言って受け取る以上の語彙もないのだけど、
本当に、わざわざ私のことを考えてくれて、私のことにあなたの時間を使ってくれて、本当にありがとうと言葉以上にもっともっと伝えたいものです。
毎年、誕生日の手紙をやり取りする友達と、
「もっと伝えたいのに言葉って不自由だね」とよく話します。
今回の手紙にも書いてありました。
でも、もっと伝えたいのに言葉って不自由だという言葉以上に
伝えるすべがわかりません。
きっとこれは「尊い」という感情かもそれません。
今繋がっているひと、
今はもう連絡をとっていないけれど大切に思うひと、
あたたかい感情とともに思い出すのはこういう対象だと思います。
大切を大切にする、大切にしきることは難しいと、
このひとたちを思うと、そう思うのです。
大切に大切にしているつもりだ
でも大切にしきっているか?とふと思います。
でも、きっと私のキャパはそんなに大きくないことを自分で知っています。悲しくも。
だから、せめて、「今ここ自分」で一球入魂で、
大切な人にできる限りの大切を、しっかり伝えたいと思います。
私の幸せを願ってくれるような優しいあなたが、
絶対絶対、幸せでありますように。
kana
※このnoteはmana&kanaの共同です。投稿の最後に投稿者の名前を書いています。