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【徒然日記】感情と心と
【世界一周まであと〇〇日】
思いがぽろぽろ出てくるのですが、滴り落ちてどこかに吸収されなかったことになるような感じがします。
今の私は、そんな孤独を時々感じていたりします。
自粛でこもってばかりな私は、なんだかこうしているうちに
大事なものをなくしてしまいそうに感じるのです。
でも、このくらいでなくなるならその程度のものだったのでしょうか?
このくらい、も、その程度、も、全部自分では測りきれません。
正解なんてものが分からずに、生きている感覚がします。
だからここに、ちょっと置かせてください。
郷に入って慣れてしまえば、そしてこんなご時世で、新たに得るものがあまりないように感じてしまえば、見えるのは失うものや自分の手が取りこぼしてしまったものばかり。
また、あったものが形を変えて、そこからなくなってしまったり、なくなったように感じたりすると、こんな思いをするくらいなら、最初からなかった方が楽なんじゃないかと一瞬思ってしまうこともあります。
頭は、そう考えてしまう。
でも、心は知っているんです。
失くしたものは、また探しにいけばいいし、また探せるチャンスはあるってことを。
そして、在るものは、変わらずちゃんと、在ってくれていること。
持っているものがいくつもあること。その幸せなんて当たり前のように受け取って、感謝しようとしていないから、失くしたものばかり見て悲観しているだけだってこと。
悲しいことは悲しい。でも悲しいばかりじゃない。
だって、私はその失くしたものや変わってしまうものを、知る前より出会う前より、確実に、知った後の方が人生が豊かになったのだから。
失くしたくないほど、変わってしまうのが辛いほど、そのものに愛を持っていたんだろう。
私の宝になっていたんだろう。宝というほどになってくれたんだろう。
どんなものだって、ことだって、
必ず変化していく。良い方にか悪い方にかいろんな変化の仕方はあるけど、
全く変わらないものというのはない。
本当に大事なら、また探せばいい。何度だって生きてる限り探し続けることができるし、本当に必要なら、またなにかが見つかるはず。
ないものを数えて生きるより、あるものを抱きしめて生きていたい。
どんな状況だって、希望がどこかについてまわるように、絶望もついてまわっている。
きっと同じようにただそこにあったんだと思う。
結局、どんな希望を感じようが絶望を感じようが、困難があろうが孤独があろうが幸いがあろうが、
問われていることはただただ、すごくシンプルに、
「じゃあ、あなたはどう生きるの?」
それだけ、なんだろう。
感情は問題をいろいろとややこしくするけど、
この問いに対する心が出す返答は、これも、きっとシンプル。
kana
この投稿はmana&kanaの共同です。投稿の最後に投稿者の名前を書いています。