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【note始めました】私が留学する理由

はじめまして。
AFSでイスタンブールの高校に留学しているManaです。
昨年秋にトルコに来て、いま留学期間10ヶ月の折り返しを迎えようとしているところです。

ここトルコで感じたこと・考えたことを書きとめていきたいと思います。
高校留学やトルコが気になっている方の背中を、少しでも押すことができたら嬉しいです。

自己紹介


休学中の高校3年生です。

最近楽しいのは食べること・空の写真を撮ること、
好きなトルコ料理はÇiğ köfte(生の肉団子)とKünefe(キュネフェ)、
イスタンブールのお気に入りスポットはKız kulesi(乙女の塔) です。

留学を決めるまで

小さいころ

青年の船や姉妹都市交流の留学生を受け入れました。期間は短かったけれどかすかに記憶が残っています。

一緒にお寺に行ったこと、料理をしたこと、母とたくさん練習した英語のことばを言ってみせたこと。
「マイネームイズ マナ、ナイストゥーミーチュー」は、まるで世界のみんなとつながる魔法の呪文みたいに思えました。

いま思い返せば、これもきっかけのひとつだったような気がします。

初めての海外

小学4年生でタイに家族旅行に行きました。
飛行機から降りた時の空気、蒸し暑いバンコクを駆けるトゥクトゥク、船から見たチャオプラヤ川の色、ココナツジュースを飲んだ後の腹痛、どれも強烈な印象でした。

じつは父はAFS でタイに行った元派遣生。
父が四半世紀前に1年を過ごした国という意味でも、この初海外は忘れられない思い出になりました。

その後何回か海外に行き、もっともっとこの目で世界を見たいと思うようになりました。

シンガポールでの苦い思い出

中1のとき、Golbal Link Singaporeという科学の発表会に参加する機会をいただきました。初の親と離れて海外でした。
ポスターセッションのテーマには、当時気になっていたバイオマス発電を選びました。

しかし、わたしの英語力は目もあてられないレベルでした。なにせ英語は中学スタートだったので、アルファベットから始めて3ヶ月、学校のテストも中の下。
そして一緒に派遣された中2の子たち3人以外、参加者はみんな高校生でした。

いまでこそ笑えるのですが、日本語で書いたものを全て父に翻訳してもらい、飛行機の中で発音を全暗記していくという荒技で乗り越えようとしました。

本番は悲惨すぎて覚えていません。

プログラム中にあった食事会やNUS(シンガポール国立大)見学ツアーのあいだも、英語がわからないから何もできなかった。
せっかくアジア各国からの高校生がいるのに、仲良くなれたのは日本人の子たちだけだった。

とにかくすべてが悔しくて、苦しかったです。
なにより、こんな場所で貴重な経験をさせてもらったのに何もできなかった、悔しがっていいようなレベルにさえ立てなかったということが、いちばんショックでした。

かなり落ち込んで福岡空港からもひとりで帰宅した中1夏休みの私。
もっともっと英語を勉強して、中高のうちにまた海外に戻ってくるぞ、と決心しました。

そこから楽しく、ときには必死に英語を勉強して、中1の終わりには苦手意識はあらかたなくなりました。当時担任だった英語の先生の影響も大きかったです。

留学にはある程度の英語力が必要、と母にアドバイスされ、中2か中3で短期留学しようと思っていました。

留学するなんて考えてなかったとき

しかし突然始まったコロナ禍。他のことにハマったり、高校に向けて部活に入ったりしたこともあり、留学のことは全く頭にありませんでした。英語の勉強も、定期テストの勉強だけでした。

感染対策のための規制が緩和されてきたときも、頭の中は部活のことでいっぱい。高2の夏に留学しようと一瞬思い立つも、部活と重なることになったので断念しました。

しかし同時に部活のことで悩んでた時期。人数が少ないうえにパワーバランスも独特で、私たちの学年は難しい立場でした。
部はとても強かったけれど、作品はいい評価をいただいていたけれど、自分が部の役に立っているとは全く思えませんでした。でも部活にすがらなければ自分には何も残らない。情けなかったです。
同学年のみんなや先輩とたくさん話し、顧問の先生と何回もぶつかり、高2夏休みの全国大会で部活を辞めることに決めました。

高2初夏、交換留学を決めた理由

部活をやめれば帰宅部、勉強も英語も普通、進路は理系としか決まってない。職業モノのドラマを見るたびに将来の夢がコロコロ変わるような、ぱっとしない高校生です。

そこで、新しくなにか自分の強みを作ろうと考えたのが長期留学でした。
中1夏のリベンジを果たす意味も込めて。

いったん今いる環境を離れて、新しい視点をもって自分に向き合いたい。
どうせなら将来飲み会のネタになるような経験がしたい。
あわよくば言語を将来の仕事に活かせるかもしれない。

すぐに準備を始めても高3での留学になり休学が必須なうえに、帰国後には大学受験も控えることになります。
しかし、高校生という立場を使ってAFS のような形で留学するには最後のチャンス。出遅れたのを少しだけ後悔しつつ、留学することに決めました。

幸いなことに、両親や祖父母は賛成・応援してくれました。友達もすごく面白がってくれました。学校の先生方には、受験のこともありかなり驚かれました。

そんなこんなでB日程の締切ギリギリでAFSの フォームを提出し、私の留学準備が始まりました。


読んでくださりありがとうございました!

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