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どうせ永遠を生きるなら

エネルギーワークの講座で仲間の舞ちゃんが自分自身のテーマとしても持っているものをみんなと一緒にワークしたいと設定に上げてくれたのが「終わること、終わらないことに持っている複雑な感情を癒す」だった。

舞ちゃん自身が長年土台として感じていた「死を希望にして生きる」という感覚があり、舞ちゃん自身が変容してく中でその感覚は薄れていっていて、そこから「憂鬱性」の性質への理解も進んだ今だからこそのタイミングだったのだと舞ちゃんの投稿からも理解ができます。

わたし自身は、幼い頃から「なぜここにいるのだろう」という生に対する消極的な感覚を持っていたし、思春期にはいじめなどの体験から死んでしまいたいと思ったこともある。
今のわたしにこのテーマで自分の中の因子として上がってきたのは「この肉体という制限に対するうんざり感」でした。

他のみんなもそれぞれにこの「終わること、終わらないことに持っている複雑な感情」があり、
○消えてしましたいと何度も思ったことがある
○どうせ終わる(死ぬ)のだと思うと力(創造性)が出なくなる
○続いていくことに関してネガティヴな感覚がある
などなど。

一般的にみんながいつもこのような感覚を持っているとは思わないけれど、多くの人が生きている中で何かしらのタイミングでこの感覚を感じたことがあるのではないかなと思う。

ワークを受けた後のわたしの感想は、

「今までの個人的な体験を潜在意識から肯定されたような感覚」

だった。
人生に起こる全ての出来事にはそこから学びや気づきがある。
自分が選択、設定してきているのだと思っているけれど、全ての体験に関して本当に自分が潜在意識の深いところまでそう感じれているかは定かではないと感じている、その"定かではない" と感じているそこへ優しい光が差し込むようなワークだった。


ワーク後のともちゃんのシェアからは、わたし自身の理解もすごく深まった。大きな気づきだったのは因子として常にあった生きることへの消極的な感覚が、

本来はエネルギーである私たちの永遠回帰の願い

なのだとしたら、それはとても尊い感覚。
そしてそれは人間にとっての最大の光と闇である生死を超えていくこと、許していくことでもあるという、さらに大きな気づきに繋がった。

永遠を生きるならば、わたしは今この瞬間に喜びを選び続けたい。
終わりがないと認識することで、「今ここ」という一点に全てが集約されて行き、あちこち彷徨いがちな意識が中心に戻ってくる。

今までネガティヴな感覚として持っていた生きることへの消極的な感覚がそうでなかったと腑に落ちたとき、意識が反転したのを感じた。

どうせ永遠を生きるなら、あなたは今をどう生きますか?



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