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いったいいつ産まれるの?促進剤5日間~39才地獄の分娩記録

みなさんこんにちは。
小学生の姉妹を絶賛育児中のアラフィフライター、みなせです!

実は私、高齢出産を2度も体験しています。初産は39才。予定日から遅れること9日、なんと5日間も促進剤を打ち続けやっと産まれたのです。出産や立ち会った経験のあるママパパさん、気が遠くなる話じゃないですか?! なかなかのレアケースと自負しております。

笑って泣いて熱が出て。
そんな誰も経験したことない(だろう)分娩実録をお届けしたいと思います。
また、教訓というほどではありませんがこの経験からの気づきを最後に少しお伝えしますね。長文ですが、どうか最後までおつきあいくださいませ。

予定日を5日過ぎた月曜日、入院初日

予定日は先週の水曜で、ちょうど受診日だった。
「この週末に産まれなかったら来週明けから入院しましょう」
土日はやらないから月曜からってわけね。なんとか土日には出てくるでしょ。料金高いけど、仕方ないなあ。

ナニゴトもなく過ぎてあっさり週が明ける。すでに予定日から5日過ぎた月曜日、里帰りしている実家から、母と、土曜から泊まりに来ていた夫とともに荷物を持って病院へ。産まれそうな気配のない赤ん坊が産まれてくるようにいくつかの処置を集中的に行うための入院である。

さっそく処置を受ける。子宮口1センチ。
脚を広げる台に乗る。子宮口を広げる目的でラミナリアとかいう棒を数本仕込み、水を含ませたそれが膨らむことでじわじわと押し広げるという仕組みなのだが、カーテンの向こうではこんな会話が聴こえてくる。

ナース「先生、入りました。5,6,,,,13本、ガーゼ2枚です」

(は?え?じゅ、13本だってぇえ!!)

その後はガチで気が遠くなってきて、立てず歩けず。くらくらしながら車いすに乗せられ個室に運ばれる私であった。人生で車いすに乗るのはこれが初めてではないだろうか。

この日の処置はこれで終わり、あとは痛みに耐えながらベッドで過ごす。

この後眠れないほどの痛みに襲われるとは知るよしもない。


ナース「これをきっかけに陣痛が起きる方もいますからね♪」

生理痛の38倍くらいの鈍痛に耐えながらまた甘いものを食べてしまう自己嫌悪。明日産まれるかもしれないから、と夫と母は早めに実家へ戻った。痛みの間隔がだんだん短くなりモニターを何度もつけかえられ、眠れないまま深夜に。陣痛につながるかもという期待はあっさり裏切られ痛みがおさまる。そのまま一日目終了。

2日目(火曜日):長き戦いの幕開け~促進剤投与スタート

今日から投薬が始まるが、その前に昨日入れた13本のラミナリアを抜く。抜かれるときの違和感ったらハンパなかった。子宮口3.5センチ。

9時。個室からLDR(陣痛から分娩まで一貫して過ごせる部屋)に移りもろもろスタンバイ。促進剤を打つ→陣痛起こる→本陣痛につなげる作戦。

「打ったら30分で産まれたよ~」という中学時代の親友の話には続きがあった。「あれって人によって効く効かないがあるからね~」

どうか私には効いてくれ。

10時から戦いは始まった。
点滴の要領で投薬スタート。だんだんとお腹に痛みが出てくる。
うううーとなる→おさまる→またうううーーとなる、痛みの波がずっと続く。1時間ほど経ち、ナースが来る。
「ではお薬増えます、●mlでーす」
40~60分くらいで●mlずつ量を増やすらしい。(量は忘れた。)

2時間。また薬を増やすことを告げられる。そーゆうルールらしい。どんどん痛みが強くなり、「いい感じヨ~」と言われ期待大。
3時間。4時間。都度薬の量を教えてくれるけど、もう痛すぎて薬の量とか知りたくないので言わないでもらっていいですか…と訴える。

LDRにはいろんなものが置いてあって、夫が面白がっている。
例えば陣痛を促す木馬のようなやつ。なんかいいことあるかも、と乗ってみるが痛すぎて笑えない。笑いながら写真を撮っている夫、覚えとけよ。

陣痛緩和チェアというらしい。

17時。医師が来てあっさり今日は終わり。あーなるほどね、業務終了時間ですもんね…外されたとたん、痛みがまったくなくなった。なんだこれ?
しかも子宮口が朝とほとんど変わっていない。チッ。
いい感じってなんだったんだ(涙)

3日目(水曜日):あたし以外は分娩ラッシュ

41週に突入。今日も個室からLDRに移動し投薬スタート。
一旦部屋を離れたナースさんが慌ててやって来た。(申し訳なさそうな顔で)「今日これから運ばれてくる妊婦さんが何人かいるんです。このLDRの端の方でいいので陣痛場所として使わせてほしいんです」

えっ?他の人と一緒にここで陣痛耐えようって??その日は他にも差し迫った妊婦さんがいて廊下にある陣痛用長イスも埋まっているという。まじ?この部屋で陣痛祭りじゃん。しかも、分娩台ベッド(←勝手な呼びかた)に3日も居座ってるあたしより先に産むって人が出てきたら「ちょっとおどき」って言われんの?

そこで私は提案した。産前は個室、産後は大部屋(4人部屋)というやり方をしていたので「私は自分の個室で過ごします、その方にはこのLDR使っていただければ」と進言。ナースさんは心底安心したように手続きを進めにいった。

自分の個室なら母も入れるので、私の陣痛傍観者が夫と母の2人になった。でも結局その方はすぐにお産みになり、なんのことはない、私はすぐにLDRに戻れた。

17時。今日も薬から解放され、筋トレを終えたアスリートのようにすっきりした状態で個室に戻る。就寝。なんだこれ。周囲は分娩ラッシュなんだからこの波に乗ろうぜ、赤ちゃんよぅ。昨日と合計して13時間の薬漬け。さすがにこの痛みに明日も耐え続けるのかと思うと萎える。

4日目(木曜日):帝王切開も視野に入れて…からの、夜発熱。

午前の診察。
医師「ん~まだ3センチくらいだねえ」
まじか。昨夜はかなり痛みで起こされたのに。夕方の所見次第だけど帝王切開も視野に入れましょう、だって。

夫「いや、でもさ…やっぱなるべくなら下からのほうがいいよ。切らずにさ。ね」

あ?この苦しみも知らずに何言ってんだ。
夫に軽く殺意を覚えたのは言うまでもない。

夕刻、お隣の部屋から元気な赤ちゃんの泣き声がした。
あれ?今朝運ばれてきた人じゃなかったか?おいおい、私の部屋以外は入れ替わりが激しいじゃんかよ!そんなに私のお腹の中が居心地いいのかな、と謎の優越感に浸りはじめる。

夜、なぜか発熱したため個室に戻れなくなり、このままLDR(つまり分娩台)で就寝することに。絶対に分娩に立ち会いたい夫は一旦出直して身支度を持参、許可をもらい共にLDRに宿泊、長イスで就寝。

5日目(金曜日):お昼を過ぎたら切ってください(涙)

えー、はい。
4日目の発熱後も何事もありませんでした。夫よ、すまぬ。

朝、子宮口5センチ。
私「先生…もう私無理です…お昼でもまだだったらもう切ってください…」
医師「ん~母子ともに元気なので切るって感じじゃないんですよね…ただ、土日を超えるお母さんはなかなか珍しいですよ」

懇願するも却下され、どうしようその珍しい人になったらという別の不安が頭をよぎる。

医師&ナースが少ない土日は処置をやらないため今日産まれなかったら月曜まで暇人だ(もちろん陣痛が来れば産むんだけど)。日中ほとんど使っていない個室の利用料金がどんどん増えて心配だし、夫はすでに会社を1週間休んでいるのでこれ以上は厳しい。「こちらのパパさんどういうオシゴトしてるのかしら?」ってナースさんたち思ってるだろうね。

とうとう、そのときは来た。

10時ごろから投薬を始め、1分おきの陣痛が起こり幸先イイと思っていたがお昼になっても子宮口6センチ強。もう無理、これ以上体力使うのイヤ、死ぬ、って思っていたらさらに強い痛みに変化。そしてとうとう「お腹が暴れ」だした。暴れるものだからつい「ん!」って力を入れたくなる。

なるほど、よくドラマで「まだいきまないでね」とかいうけどなんで?って思ってたらこういうことか。これ普通の人間だったらお腹に力入れたくなるもん。タイミングがあるんだね。

そんな瞬間が何度か続き、その拍子にぴしゃっ。(あ、お○っこ漏れたわ~😢)と感じ、夫にどうしよう、漏らしちゃったと言いかけて、(いや、ん?あ、これがもしかして破水なのか!)とやっと気づく。

「看護師さん呼んで!!破水したみたい!!!」→夫走る。

16時21分。にゅるん。

いいの?いくよー!ってなんか私、仕切ってた。

そこからは早かった。子宮口全開!
横にある画面の波形に合わせて掛け声がかかる。
「はいっ、んん----!」
いきむの上手よ~とか褒められながらなんかちょっと面白くなってくる。
助産師「はい頭出てきたよ~次もう一回ねぇ~はい!」
私「いくよ、ふんっっ!!」いくよ、ってなんだ(笑)。

あったかいかたまりが「にゅるん!」と出てきた。
ほんと、にゅるん、だった。

にゅるん、の正体。でかい。

はぁぁぁぁあ終わった・・・これ以上ない達成感。天井を見つめ、右を向くと真っ赤な顔してる赤ん坊がぎゃーふぎゃーと元気に泣いている。

ナースが淡々と、身長体重をメモしたり、足の裏にプチっと刺して採血したりいろいろしてるのをぼーっと見つめる。

なぜか涙は出なかった。

カンガルーケア中

ひととおり処置が終わってママの胸の上に置かれる。カンガルーケアとかいうらしい。へたくそにおっぱいを吸おうとしている赤子。これか、こいつか、あたしのお腹にずっといたのは。あぁ愛おしい。

おめでとうの嵐

ナースが入れ替わり立ち替わり入ってきては口々に嬉しい言葉を浴びせかけられる。
ナースA「みなせさん、産まれたのね~!!おめでとう♪」
ナースB「おめでとう、大変だったわね~」
ナースC「やっと出てきたわね~おめでとう!!」
・・・
おそらくこれほど多くのおめでとうをナースさんからもらった産婦は世界中を探しても私以外にいないと思う。なんせ1週間まるまるお世話になったからシフト一巡しちゃったわけよね。

産後は大部屋に移動。(なぜ産後こそ個室にしなかったのかといまだに自身を呪っている。)母子同室が基本の病院では産後の疲れなどおかまいなし。ベッドの横にベビーコットが置かれ、泣けば抱っこ。2時間おきにおっぱいだミルクだと起こされるし、4人部屋では赤ん坊の泣き声がほうぼうから聞こえてきてとてもじゃないが眠れない。抱っこして廊下でしばらくゆらゆらしてたこともあったっけ。

今ではすべてが愛おしく懐かしい。

以上が、合計約30時間ほどの促進剤投与の末の分娩実録。投与時間は長かったけど、産む瞬間は驚くほどスムーズだった。


どなたかの参考になれば程度のメモ

●運動は妊婦になってからも意識的に
里帰りして急に運動不足に。もっと運動していればもう少し早く産まれたかもと。一応、散歩したりHULAのステップをやったり家の階段で踏み台昇降したり、は心がけていたけどもっとやればよかった。※散歩は、万が一のためにコースを決めて家族に知らせておき、母子手帳を携帯して

夫が付き添ってなかったら乗り越えられなかったかも
木馬こそ笑っていた夫だったが、毎日同じ痛みを受け続けるというのはメンタル強くないと無理。励ましてもらったし、いきんじゃいけないときにテニスボールを尻に押し込んでくれたのは助かった。発熱した夜も、1人であの広いLDRに泊まるのは心細かったと思う。パパにとっても貴重な瞬間、できるだけ付き添えるといいと思う。

ちょっと奮発して…ぜひ個室を
高齢出産や特に体力に自信のない人は、個室で産後の体力回復に全力を注いでほしい。産後2日とかだけでもいいから。※ただし個室にしても、ナナメ前の部屋が陣痛室であったため陣痛に耐える妊婦さんの声が大音量過ぎて睡眠が削られたという例もあるが(←42才第二子出産時の私)。

出産の思い出は記録を残そう
どんどん記憶が薄れていくもの。自分だけの大事な経験、ぜひ記録を。絶対いつかどこかで役に立つはず。このnote書くときは当時書いていたアプリ「瞬間日記」を残していて役立った。私は娘に「またそのハナシ~」と言われるほど語り継ぎたい。

最後に

一生に一度しかない「初産」の実録、長文にお付き合いくださりありがとうございました。妊婦さんが10人いれば10通りの分娩であり、役に立つかわかりませんが、どうか怖がらず自信をもって臨み、赤ちゃんを迎えて欲しいです。貴女のお産に幸あれ。

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