胃もたれのいちごサンド
私はたまーに自己チューだと何人かに言われることがある。
よく「優しいね」って言われてた過去が嘘だったみたいに、消されていく言葉。
その「優しいね」と言われた頃でさえ、「自己チュー」だと言われたことがある。
で、私的には、人に優しくしようと努めてるし、自分の目が行くところには気を遣えるのだけど、どちらかというと、そういう姿勢があまり相手に伝わらないことが多くて。
相手に気の回らないところを突かれて、怒らせてしまう。
そうさせてしまって、
「私はその人の側に居ないほうがいいのではないか?
自分は言えてスッキリして、私は言ってスッキリしちゃ駄目なのかよ!
私だって気を遣っているのに、怒らせないように我慢してるのに、なんで怒られなきゃいけないの?」
って、私のほうが怒りたくなるし、それを言ったところで解ってもらえないだろうと諦めて悲しくなる。
私はこういった文章で書く分には、自分の本心をさらけ出すのは容易なほうだけど、相手にされて嫌だったことや怒りを口で伝えるのは大の苦手だ。
自分も相手も我慢して相手が先に爆発して、私はただ沈黙するだけ。
あとで、あの時ムカつくと怒りが沸々と湧いて、今更どうしようもできなくて、不完全燃焼してしまう。
言おうもんなら、怖くて声が震えてしまう。
確かに、気が利かないし、自己チューなのかもしれない。
ただ、自覚はあまりないし、悪気があっての行動じゃないから、言われると心外で正直ムカつくな。
でね、こんな私でも自己チューな人に振り回されたことがある!
思わず、距離をとってしまったよね。(笑)
それか、自分も自己チューで接すりゃよかったよね。
変に気を遣っても、優しくしようとしてるつもりでも、空回りして「自己チュー」だと言われて怒らせてしまうのなら、最初から「自己チューだけ」であればよかった。
変に穏便にしようと相手を怒らせないように気を遣ってしまうのは辞めよう。
優しくするのも辞めよう。
だってそんなことしたって「自己チュー」って言われてしまうのだから。
滲み出てしまうのだから。
骨折り損のくたびれ儲けだ。
そもそも、自他共に「我慢」したところでプラスになることはない。
「我慢」からは、怒りと悲しみしか生まれない。
それでもお互い「我慢」し続けるか?
いちごサンドで胃もたれした出来事が、そう教えてくれた。