0でもなく100でもなく
うちの母と話していて、やはり彼女は「いま自分がコロナにかかっているかどうか」が知りたいようです。
陽性か陰性かで行動が変わってくるから、とのこと。
その気持ちは分からなくもないのですが、それってどうなの。
自分が「かかっているかもしれない」し「かかってないかもしれない」との前提に立たなければならないのでは。
自分はかかっていなければ咳を撒き散らしてもよいわけでもないし、逆にかかっているとして不必要に外出を控えるというのも違う。と思うのです。
それ嫌だなあって母はぼやいてましたけど(たぶん考えるのがめんどいから)、どちらかに限定して行動を決めてしまうほうが危ういのではないでしょうか。
ウィルス罹患に限らず、想定を確率0%か100%かに偏らせるのって単に危険ですよね。
確実に判明するまでは「どっちもありうる」というグレーな前提で行動しとくのが賢明。
まあウィルスに関しては、検査したところで100%ではないですしね。
ちょっと大袈裟になりますが。
ゆるゆるぬくぬくと暮らしていると、明日のメシも100%食えると思いがちですけど「いつだってそんな保証はない」。
震災でそれを思い知ったのに、やっぱり愚かにも忘れかけていて、昨今みたいな状況になって思い出す。
明日のメシが心配という暮らし(ひいてはそんな社会)からは脱却したいのは確かなのですけれど、思い上がってそんな心配を忘れてしまうことも、また怖いことに感じます。
いつだってグレー。忘れずに。
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