休業補償について思うこと
新型コロナウィルスで、一斉休校要請があり、それに伴って休業する人が出てきて、親だけじゃなく全体にそれが拡がって…。
ふむふむ。
政府判断で働けなくなる人が出たから、そのぶん補償しましょうね、という流れ。
補償自体はやらないといけないと思う。
ただ、全国民に一律とかはやめたほうがいい。
今回で不況になったと言うのであれば、それは僕らが給料をもらえなくなった、のではなく、僕らが生産の手を止めたことを意味している。
簡単に言えば、日本全体でメシ(もちろん食糧だけじゃない。「メシ」は象徴)が減っている。
カネはその「引換券」であって、真に注目すべきはメシ、経済学でいうところの実体経済。
これが目減りしている。今はまだよく目に見えないだけ。
全体で減ったリソースを全体に再分配するというのは単純じゃない。
全員がハラペコなのを承知で、優先順位を付けて、餓死しかねないところから配るべきだ。メシに優先的にありつける権利を渡すのだ。
だからただバラ撒けばいいってものじゃない。
全員対象にするにしても、時間差はつけて、余裕のあるところは生産が回復してからでいい。
額もある程度は抑えたほうがいい。
あんまり貰ってしまうと「まだもう少し休んでようかな」となってしまう。
生産の再開が遅れてしまうのだ。
そもそも社会保障は「持ってる人から持ってない人へ」が原則。
健康保険も「健康な人から怪我・病気した人へ」。
失業保険も「働き口がある人からない人へ」。
これを「全員から全員へ」にしてしまうと、意味がなくなる。持ってない人を助けられない。
もちろん今回の休業補償は「補償」であって「社会保障」ではない。
ただ政府は自分のカネを持ってない。もともと僕らのカネだ。
文無し相手に補償しろっていうのは無意味。
補償されたところで、もともと僕らのカネが返ってきただけだ。
政府の仕事は、国民からカネを集めてそのカネを使うこと。しかも使ううちのほとんどが「国民に返すこと」。
ただし、返す先が「持ってない人」であり、これがつまり社会保障。そうやって全体を生かしている。
今回の補償も「国民に返す」ものなら、「持ってない人」を優先したほうがよいと思う。
たぶん納得できない人も多いだろう。
あいつらのせいで損したのになんで?
と思うかもしれない。
しかし、そんなあいつらを選んだのは僕らなのだ。
僕らが選んだ人達がミスをしたら、僕らがケツ持たなきゃならんのではないかい?
現政府を擁護したいのではない。
僕らにも非があるだろう、と言いたい。
「あいつらには投票してねえよ」というのはナンセンス。
それはあなたが反対意見をねじ伏せるだけの言論ができなかっただけ。
政府は「全体が生き残るため」を前提にしている。
「俺や私が生き残るため」の意見は無視する。
無視してしかるべきだと思う。
個人個人の意見を聞いていたら、全体が死んでしまうからだ。
ちょっと例え話で考えてみよう。
あなたは村長だ。村は山々に囲まれて、外界との交流も少なく貧しい。
そこへ村人Aがやってきた。
「山をひとつ崩しましょう。道を作り、外と交易しましょう。それで村が潤う」
しかしその山で林業などをしている村人Bがやってきた。
「あの山がなくなると、俺が死んでしまう。それは絶対に反対だ」
さてあなたはどう判断するだろうか。
どちらでも構わないのだが、あなたの判断基準は「村全体が生き残るため」ではなかっただろうか。
そして、そのために「切った」意見があるだろう。
個人個人の意見が対立するのは必然(ましてや1億2000万人もいれば)なのだから、誰かの意見は切らざるをえない。
リーダーは全体が生き残ることを目標として判断しなければならない。
悲しいことかもしれないが、全体を生かすというのは、一部を切ることと同義だ。
休業補償は、ほんとうに危ないところから優先的に。
具体的にはストックの少ないフリーランスや派遣、子持ちサラリーマンなど。
全員にバラ撒くべきかは後で考えればよい。
それよりも考えるべきは
「この状況のなか、どうやって生産を再開するか」
だ。
政府はもちろん、これについて考え、その手段を整えなければならない。テレワークもひとつだが、他にもあるかもしれない。
僕ら国民も、いつまでも引きこもっているわけにはいかない。何か手段はないか考えなければ。
このnoteの本当の目的はここ。
この議論を活性化させたくて書いている。
余談で少しだけ関係ないことを言っておくが、メシもカネも政府が産み出しているわけではない。
どうにも、口を開けていれば政府が運んでくれると勘違いしている人が多いように感じる。
(カネ産んでるのは日銀だけど)
そんなわけがなく、僕らがメシを産んで、僕らでカネを回さないといけない。それで景気が良くなる。
それを分かってないと、軽率に「カネよこせ」と政府に要望することになる。
これについてはまた別noteにまとめるつもり。
僕はもともと新型コロナウィルスはそこまで脅威ではないと思っているほうなのだが、やはり目に見えないものに対する恐怖は伝播しやすいのかもしれない。
まだまだ警戒体制は続くだろう。
そのなかで、しぶとく生きねばならない。
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