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グッバイ桜川

阪神三宮から電車に揺られて、ガタンゴトンと夢を見ていた。


19歳の私が
真っ赤なルージュを引いて

「そこ」に突っ立っていた。 

「桜川ー。桜川ー。」

車内のアナウンスでハッと気が付いた。
飛び起きると阪神電車の桜川駅だった。
あれ、ここはどこだっけな。
座席に座り直す。

そう。
桜川の夢を見ていた。

大学生の頃。
お金がなくて、2ヶ月だけ桜川のショーパブで働いた。
仕送りゼロの貧乏生活で
メンタルを病んでいて
ゴミ溜めみたいなアパートに住んでいた私は
「女子大生」
とは名ばかりの、痩せっぽっちでちょっぴり薄汚れた女の子だった。

学費が払えなくて、大学側からは
「このままだと退学になる」
と言われていた。
メンヘラだったのでバイトもロクに続かなくて
いつも明日のご飯に困っていた。

お腹も減ったし
大学も退学になりそうだし
水商売でもやるしかないと思って受けたスナックの面接で

「ここよりもっとワリのいいバイトがあるんだけど、やらない?」

と話を持ちかけられ、連れて行かれたのが「そこ」だった。

どでかいビル。
入るなり香水の匂いがして
あちこちにネオンが光って全体的にピンク色だった。

ショーパブなんだけどさ、とママは言った。
急に踊れってわけじゃないからさ。

控室みたいなところに通されて面接を受けた。

こういう仕事したことある?
男性経験は?
月いくら稼ぎたい?

しどろもどろで答えた。

神戸でちょっとだけキャバクラにいました。
彼氏ひとりだけ居ました。いまは居ません。
月いくらというか、学費を払いたい、です。

時給はとんでもなく高かった。
ちょっとだけいろいろ我慢したら
学費も払えるし
生活していけるし
もっと頑張れば
好きな服だって買える。
行きたいところに行ける気がする。

そもそも衣装が過激なだけで
やることはスナックと変わらへんからね。
ママはタバコを吸いながらそう言った。

後で知ったのだけど
面接を受けたスナックは実際は稼働してなくて
ここに連れて来れそうな女の子を見つけるための「漁場」だったらしい。

私は「やります」
と言った。

何かを変えたかった。
生活の困窮ぶりを変えたかったのか
ろくでもない私の人生を変えたかったのか
たぶんどちらも変えたかったのだろう。

それで私は
「母印でいいから」
と言われた書類に署名して、親指でハンコを押して「そこ」で働くことにした。

「そこ」はいつだって
香水の匂いに溢れていた。
ローズ、シトラス、フローラル、シャネル、ブルガリ、エトセトラ……。
香水の匂いとお姉さんたちの派手な下着に埋もれてクラクラした。

ここは「この世」じゃないな、なんて思った。

私はアラビアンナイトみたいな形の、オリエンタルでスケスケでなんとも悩ましい衣装を渡されて、それからこれもと、真新しいピカピカの毛艶のウィッグを渡された。
赤毛のハーフアップウィッグだった。

「あなた赤毛って感じ。ほらほら、名前はアニーでいいんじゃない」

それで私は悩ましいアラビアンナイトみたいな衣装を着て、頭がグラグラするでっかい赤毛のウィッグを付けて、少々複雑な赤毛のアンに変身することになった。

「アニーです」

と自己紹介しながらいつも
ウィッグがずり落ちそうだなあと思っていた。

ショーに出ているお姉さんたちは
ド派手な生活をしていた。

「ホストに80万貢ぐ約束しちゃった」

と嘆く売れっ子のお姉さんは
その夜100万円の束(あの、テレビでよく見る帯のついたやつ)を胸の谷間に突っ込まれていたし
ママはいつも毛皮のコートを着ていて
たまに乗ってくる車は私でも知ってるような高級車だった。

お姉さんは私をホストに連れて行きたがった。とてもじゃないけど気後れして無理だった。

「ホスト、行ったことないんです」

うそー!!
マジでーー!?
何が楽しくて生きてんのんーーー。

「趣味はなに? 」

と聞かれたけれど

「お、音楽、とか」

としどろもどろに答えるばかりだった。

「踊れるようになったらさ、好きなアーティストの曲とか使っていいよ」

ママは言った。
だけど、ジャズとかなんか、おしゃれなやつにしてね。それか女の子のアイドルの可愛いやつね。

ジャズとかなんかおしゃれなやつも、女の子のアイドルの可愛いやつも私は知らなくて
好きなアーティストはGOING STEADYで、それも解散しちゃって銀杏BOYZになったところだった。

「銀河鉄道の夜」とショーパブは、似合うようで似合わないよね。

そんな感じで私もここには、似合わないんだと思う。
そう思いながらせっせとお盆に乗せたビールを運んでいた。


お姉さんたちは女の私が見惚れちゃうほどキレイで、それでいて逞しかった。

形の良いオッパイ。
手入れされた美脚。
艶かしい香水の匂い。
磨き上げた裸体をこれでもかとさらけ出して踊るお姉さんたちは、儚い夜の蝶というよりも、働きバチを虜にして離さない女王蜂だった。

私は美しい。
美しさを売ってるの。
美しさをお金に変えて何が悪いの。
お金を稼いで好きなことをやって
最後はババアになってのたれ死んだって
それがしあわせなの。

明日のことを儚く思うような女の子は1人も居なかった。
誰も明日の命なんて心配してなかった。

それより今日ショーが終わったら
どこのホストに貢ごうかな。
いつだってそんな感じだった。

かたや私はというと
いつも自信がなくて下を向いていて、いつだって明日生きていられるか心配だった。
ショーに出られるような立派なショーパブ嬢には、どうしたってなれなかった。

「立ち方がダメ」

といつもママは怒った。

「背筋伸ばして!!お尻をピンと突き出して、お腹ヘコませて!!」

「ほらまた、お腹が出てる!!内股にならない!!ヒール履き慣れてないの?」

「顔は派手やのになぁ。なんか自信のないオタクみたいな感じやんねぇ」

はあ、その通り自信の無いオタクなんです。
何度もそう言いたくて言えなくて俯いて、履き慣れないヒールの爪先を眺めていた。

ビシバシ飛んでくるママの声。
化粧と香水と派手な下着と男遊び。
向いてない。辞めたい。だけどお金欲しい。
お金を稼いで
学費を払って
ちゃんとご飯を食べて

そんでまだ、生きてたい。 

渦のようにいろんな気持ちが押し寄せた。

ある日サラリーマンの集団がやってきた。
忘年会の三次会だと言っていた気がする。
ドンチャン騒ぎだった。
ひとり隅っこで静かにビールを飲むおじさんがいた。
私も隅っこにいるタイプだったので、隅っこでおじさんにお酌していた。
おじさんはローリングストーンズが好きだと言った。私はキースリチャードの手が好きだと言った。おじさんは喜んだ。

「おかんが好きなんです。キースリチャード」

私が言うと

「ほな君は僕の娘くらいの歳やんか」

とおじさんは苦笑いした。

「ぼくはスナックで歌う方が好きなんやけど、若い子がこういうとこ好きやから」

女の子と喋るのは、あまり得意じゃないねん。
おじさんはそう言って、でも嬉しそうにたくさんローリングストーンズの話をした。

私はおじさんのことがとても好きになった。

トイレに行くと言っておじさんが席を立って
私もおしぼりを渡すために着いて行った。
おしぼりを持ってトイレの前で立っていると
用を済ませたおじさんが出てきて
おしぼりを受け取って手と顔を拭いた。
そしてキッパリこう言った。

「君こういうところ向いてないよ」

何があったか知らんけど辞めた方がええ。
ぼく仕事でこういう店たくさん行くからわかるねん。君みたいな子は向いてない。
向いてないことはせんほうがええ。
人間、無理したらあかんねん。

「あー。泣かんでええ、泣かんといて」


おじさんはそう言って初めて私に触った。
背中をヨシヨシとさすってくれた。

私は、ボロボロに、泣いていた。
本当は辞めたかった。
学校行けなくてもいい。
あした食べるものがなくてもいい。
ここに居て
胸を張って
オッパイを自慢して生きるようなお姉さんには
私はなれない。


わたし、こういうの、なんか、
もう、ぜんぜん、
ちゃんとやらなとおもうのに
ぜんぜん、
できないんです。

おじさんはうんうんと頷いた。

ここに居るお姉さんたちは
綺麗で背筋がピンと伸びていて
いつも笑ってる。
楽しそう。
幸せそう。
だからお姉さんたちは「ここに居ていい人」なんだと思う。
だけどいつまで経っても猫背のわたしは
ずっと悲しそうな顔をしていて
自信がなくて俯いて
だから「ここに居る人」じゃないんだ。


その後すぐにショーパブを辞めた。
学費は結局払えなくて大学は一度除籍処分になったけれど
大学側が儲けた猶予期間内にお金を納めれば復学出来ると言われて
その後なんとかもう一度お金を貯めて復学して
ちゃんと卒業することができた。


あのおじさん。
名前も聞かなかった。

お礼も言いそびれちゃったな。

ガタゴト、阪神電車は揺れる。

「桜川を出ますと次は〜……」

車両がゆるやかに桜川のホームから遠ざかっていく。

グッバイ桜川。
もう二度と
この駅で降りることは無いと思う。
だけど、ありがとね。
あの渦のような2ヶ月で私はちゃんと
自分にとって本当に大事なものに
気が付けていたのだと思う。


難波駅までもうすぐだった。

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