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父性と食欲


今日も他人からリクエストされたテーマに合わせて、瞬発力だけで文章を書きます。


おふくろの味って言い回しはよくあるけど、親父の味ってあるんだろうか。

おふくろの味は普段の家で食べていたご飯の味だ。“一般的”に、普段家で食事をつくるのは母親だとされてきたから。父親は家庭内で食事をつくる役割を担わない。彼は大黒柱として、外で労働してお金を稼いでこなければならないのだ。とした上で。親父の味ってなんだろうか。


自身の父親の場合、大黒柱感のある人ではなかったが(むしろもう少しお金の面はちゃんとしてほしかった)、子どもに自分の好きなものを体験をさせて「どうだ面白いだろう」と一緒に遊びたい感情はことさら強い人であった。

親父の味は、ローソンの味と記憶している。子どもの歓心はコンビニエンス。30年近く前の、ドがつくほど田舎の出身なので、当時は街にコンビニができたなんてことは大ニュースだった。それが、たまたま家から徒歩5分くらいのところだったものだから、得意になって連れて行ってくれたのが父である。3歳児にとってコンビニにあるものなんて、食べ物ではない。全力エンタメだ。全能感かつ万能感。

水をキッチリはかるのにドキドキしたねるねるねるねとか。めっちゃでかく見えて、中に何か入ってるのがウキウキしたチロルチョコとか。からあげクンなぞ与えられた日には狂喜乱舞である。当時はね、レギュラーとホットの2種類しかなくてね。辛いの食べても平気だもーんみたいに言いたがった。ほんでからあげクンのパッケージが、昔は鳥のキャラではなくてオッサンの絵だった話は、「アラサーが話してマウントをとりたがる3大昔話」のひとつである。

ちなみにあとふたつは、東京03がアルファルファだった話と、有吉さんがヒッチハイクでロンドンまで行った話だ。


そうやって振り返ると、父親はわりと子どもじみた嗜好を持っていたのだなと思う。3歳児と同じ遊びしてるし。そういえば玩具はたくさん買ってくれる人だった。あと、ここまで全部過去形なので亡くなった父を偲ぶみたいになっていますがまだ存命です。


友人知人に「子どものころ、お父さんに食べさせてもらって印象的だったものを教えて」と聞いてみてもいろんな思い出が返ってくる。

鉄道が好きでいろんなところへ見に行き、なぜか毎回、行った先々で買ってきてくれていたお団子、親父の味。
母親がたまたま不在のとき、なぜかめちゃくちゃ張り切ってとでかいステーキを完璧な焼き加減とスパイス具合で焼き上げた親父の味。
お箸づかいの練習を厳しくさせられ、皿から皿へひたすら麦チョコを箸で摘んで移動させ、成功した麦チョコがご褒美だった親父の味。


親父の味というのは、「オレがいい(正しい)と思うものに全振り」みたいな味なんじゃなかろうか。栄養とか好き嫌いなく食べなきゃとか、規則正しい食事習慣とか、そういうのを無視して、「自分が好きな物を教えてあげたい、共有したい」という気持ち。

そしてそういう気持ちの方が「父性っぽさ」としてもしっくりくる気がする。威厳があるとか、金が稼げるとかよりも。この父性なら、父親に限らず母親だって持ちうる。親なら、保護者なら、持っている父性もあるのかもしれない。女子力の高い男子がいる時代だもの。性別から離れた「性別っぽさ」があっても面白かろうよ。父性ってもともとは父親を表す言葉だったけど今は違うよねーってなるとか、大黒柱って昔は男らしさのニュアンスがある言い回しだったらしいよーってなるとか。そういうふうに言葉の意味が変わってもいいじゃないのよ。つって。


いまやねるねるねるねは知育玩具だし、チロルチョコはすごく小さいし、からあげクンはケイティペリーの好物だし、あばれヌンチャクじゃなくて桜塚やっくんなんだよなー(これがすでに古いんだけどさ)。

以上。今日のテーマは「大黒柱」でした。

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