近況(クソ重)
「うつもあるんですかね」と3回目の受診で恐る恐る訊いて「あると思いますよ」と返ってきたとき、心底安心した。今までの自分の怠惰が自分だけのせいではないというふうに思うことができたから。
8月末から私が通っているクリニックは、訊かれなければ診断名をはっきり言わない方針らしい。もともとPMSが酷くて行き始めたのだが、生理前だけでなく排卵日前後も生理後も抑うつ症状があるのでうつの気があるだろうとのことだった。
病院に通い始めて、薬を貰ってなまじ元気になったがためにバイトも制作も家事も頑張りすぎ、爆発して実家に返ってきたところである。
金銭的な不安から解放されたのは嬉しいが、実家は実家でまた地獄だ。
西洋医学を否定する宗教を信じる中、母が癌を患った。たぶん。たぶんというのは、病院に行っていないために診断名がわからない、という意味だ。卵巣に腫瘍があって、腹水が溜まっている。良性腫瘍と腹膜炎の可能性も無くはないけれど、まあ末期の卵巣がんと考えるのが妥当ではある。
母のお腹が膨らみ始めたのは去年の夏頃で、私がそれが腹水だと知ったのは今年の夏頃なのだけど、実家で実際にその状態の母と暮らすのは想像以上にこたえるものがある。
まず料理をするのがしんどそうで見ていられない。料理の途中でしんどくなって一旦茶の間で横になったりしている。そこから立ち上がるのもしんどそうだ。私も実家から2時間半かけて学校に通うようになったので、毎日手伝える訳でもない。
洗濯や皿洗い、料理の途中からは手伝ったりするけれど、正直こっちのメンタルもギリギリだ。「ごめんね」と心底申し訳なさそうに言う母の声がわたしに追い打ちをかける。
実家にいるという絶対的な安心感と金銭的な不安からの解放、母への心配と家事の負担と学校への距離がバトルして相殺されている。結果、今の実家が自分の精神衛生に良いとはとても言えないのだった。でもあのままバイトをしながら一人暮らしを続けるのには限界があったし、もう3ヶ月分の定期を買ってしまっている。
祖母からも父からも説得し終わっているので、今更私が母に病院に行ってくれと懇願する労力は無駄である。あんなに絶望的にお腹が膨らんでいても、母は手かざし療法で良くなると信じているのだった。父は母が頑固だから病院に連れていくのを諦めているだけだと思っていたけど、この間訊いたらやはり父も手かざしで快方に向かうと信じているようだった。いや、もう信じざるを得ない所まで彼も追い込まれているのだろう。絶対にその溝を埋めることができない分断のようなものを感じた。
「癌なんでしょ」と問う私に「癌じゃないよ」と根拠もなく主張する父の声はかなしかった。私はそれ以上何も言えなかった。
私が未だに世界救世教を信じていれば回復を祈れたけれど、生憎そうではないので、もう私は座して母の死を待つしかないのだった。母が生きながら苦しんでいることよりも、「もう母は永くないのだ」という客観的な事実を両親と共有することができないのが悲しい。
妹は、考えると辛いので考えないようにしているらしい。彼女が大学のサークルという居場所を見つけられたのはとてもいいことだ。1、2年は存分に楽しんで、3年くらいで責任が生じそうになったら適度に距離を置いて楽しんでほしいと姉は思う。
母を心から愛しているからこそ、早く死んでほしいと思う。もし神がいるならば、母を早く楽にしてやって欲しい。ひたすら家族のために生きた母を、どうか。
家でもアームカバーをしていることについて触れられる度にお茶を濁すのはもう疲れた。さっさと寒くなってくれないだろうか。