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ぼくは、「想像上の生き物」を相手に記事を書いていた

来年からまたどんなことを発信しようかと、今一度自分の発信活動について見返す中で、過去のnoteを読み返している。

僕が発信の主ターゲットにしてきたのは、自分と同じライターや編集者の方々のはずだった。ただ、その中で気づいたけれど、やっぱり、noteで発信を始めたばかりの2年前と今では、「ライター」「編集者」という仕事の実情への解像度が違う。「ああ、この文章を書いたころの僕は、わかっていなかったな」と反省するような記述を、ちらほら発見してしまった。


◆前提条件の違う人からのアドバイス()

一番の反省点は、「そんなアドバイス()を送っても、生かせるような環境にいる人自体がそんなに多くなくなってきているんだよ」ということだった。

「場数を踏みましょう」、「記事を依頼してきてくれた相手は、こんなことを求めているかもしれません」なんて、経験者みたいな顔をして書いていたけれど、実際のところ、場数をふみたいと思っても踏めない人たちもいる。編集部側ともっとコミュニケーションを取りたいと思いつつも、その距離感が分からない人もいる。

僕が語ったことは正論だったかもしれないけれど、「そのまま世の中に出しても、人を動かして、その人を幸せにする文章か」という視点で見ると、そういうものばかりではなかったかもしれない。そうしたくてもできない人にとっては、残酷なものだったかもしれないとも。実情を知らなかったからこそ、怖いもの(?)知らずで発信ができたところはあるかもしれない。でも、それは結果論でもある。

◆想像上の生き物を相手に、記事を書いていたかもしれない

たぶん、結局ぼくは、読者を「想像上の生き物」としてしかとらえていなかったのだとおもう。

この2年くらいかけていろんなライフスタイルを送るライターや編集者の方に出会って、「想像上の生き物」だった読者像がどんどん、「身近な○○さん」へと移っていった。そのうえで今、過去の記事を読み返すと、僕の脳内にいる「想定読者としての○○さん」が、「いやいやまむしさん、そんなこと言われてもね…」と反論してくる。そんな原稿がちらほらあった気がする。

◆それでもやっぱり、発信自体は続けようと改めて思った


ただ、なんだろう。

そういう事実を認識したからこそ、「もっと書かなきゃな」とも感じてしまった。

一部の人にとっては「聞いても仕方のないアドバイス()」だったかもしれないけれど、それでもたくさんの人に読まれ、本まで出させていただき、今では月1~2回くらいセミナーのご依頼をコンスタントにいただくようになってきている。
その背景にはやっぱり、ライターや編集者として成長したいと考える過程で、たとえ現状に即していなかったとしても、そこにあるメッセージをご自身で解釈し、日常で生かしてくれた人たちがいるからなんだと考えたからである。読者のリテラシーに甘える…というのは、編集者として良くないかもしれない。でも、読む人の胸を借りるような気持ちで、のびのびと発信をしてもいいのかもしれない。

◆2025年はnoteもしっかり更新しよう

2024年は、主にニュースレターで週1回の配信を続け、結構な購読規模になってきている。

ニュースレターのコンセプトは、「その週の仕事(≒コンテンツ制作活動)を楽しくスタートできるような発信をすること」。毎週月曜日の朝に、識者の方のインタビューや僕自身の考えを発信し続けていて、今後もそれは継続していきたい。

これに対してnoteの記事は、ニュースレターのように「ガンガンに送られてくる」というよりは、僕のXなどでふらっと、興味があったらくる・来ないくらいの緩いものなので、サークルの部室のような感じで、来てくれた人に一定の居心地の良さを感じてもらえるようなものだといいなと思う。

記事を読んでくれた人たちにとって僕が「頑張ってますね。すげえっすね」と、隣の席で頑張る同僚みたいな存在になれると嬉しい。もちろん本業もあるので、継続自体そんなに簡単じゃないんだけれど、なんとなくこれを続けていくと僕自身にも良いことがあるような気はしている。

まだ1年を振り返るには少し早い。でも、気づいた瞬間に投稿して退路を断った方がよいと思ったので、投稿してしまった。がんばれ、ぼく。

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