災害研究者が新型コロナウィルス感染症について考えてみた(3−1)感染症と危機管理サイクル
1.危機管理のサイクル
災害による被害が社会的な現象であるならば、被害軽減に向けて社会的な対応を検討することができる。災害研究の分野においては、時間軸に沿って求められる災害対応が変容していく様子を災害管理サイクルと呼んで共有している(図1参照)。
図1自然災害における危機管理サイクルとその政策対応
(筆者作成)
図1では、自然災害の危機管理サイクルでは、災害発生から時間軸に沿って、(1)緊急対応、(2)復旧復興、(3)減災の3つのステージが現れることを表している。
(1)緊急対応のフェーズでは、短期的に災害被害の軽減を図りつつ、緊急時における生存者のニーズを満たすことが目的とされる。被災者に対する人命救助や人道支援、被害情報の発信、避難所や仮設住宅の設営、現物・現金給付による支援が行われる(余談だが、日本では現金給付による支援は災害救助法において「実質的に」禁じられている。)対応は主として政府により行われるが、ボランティアやNGO、国際組織が活躍する事例も存在する。
(2)復旧復興のフェーズにおいては、市民の生活再建に加えて地域社会の再生に向けた多様な政策支援が行われる。損壊した公共インフラや都市基盤の復旧、住宅再建、企業助成や生業・就労支援、文化活動や地域コミュニティの再生に向けた諸支援が想起されることが多い。ただ、被災前の社会的状態への回帰(復旧)を行ったとしても、被災前の社会的課題を克服できない場合は、被災者の生活再建が遅滞するだけでなく、それを支える地域経済の復興も問題を抱えることとなる。例えば、1995年に発生した阪神・淡路大震災で被災した神戸市は、アジア諸国の経済発展を背景にサービス産業型の経済構造への移行が求められていたが、神戸港を始めとする都市基盤や社会インフラを概ね原型復旧させる復興政策を講じた。結果、その後の同市における経済活力を再生させることはできなかった。
復興政策とは本質的に地域の総合開発政策である。そこでは、文化的、社会的、経済的側面に配慮した開発計画の策定だけでなく、その形成過程や実施においても市民のイニシアチブが求められる。
(3)減災のフェーズは、将来の災害が引き起こす被害を軽減するための諸政策が実施される。これまで公共インフラや防災設備の設置や更新、緊急物資の備蓄といった対応が主として行われてきた。しかし、近年では共助の重要性が強調されていることから、市民への啓発活動や地域防災計画の策定、災害教育にその重点が移りつつある。また、災害は自然環境から発現することを考えれば治山治水を始めとする環境政策も重要な領域である。
2.災害管理サイクルが目指すもの
災害管理サイクルは、一見、(1)、(2)、(3)の各フェーズが独立した政策目標を持ち、時間軸に沿って変化していく社会的ニーズに合わせて政策対応が行われる様子を描写しているように思える。しかし、実際には、被災地の社会的課題に対応し、災害に強い社会を目指すための、一貫した政策対応過程のことである。
各フェーズの政策目標において重要なことは、その次に現れるフェーズに向けた基礎を構築することである。(1)緊急対応では、人命救助や生存者への各種支援を通じて、(2)復旧復興における生活再建や地域社会の再生の基盤を作ることが大きな目標となる。また、(2)復旧復興のフェーズを進展させることは、(3)減災のフェーズにおいて災害に強い社会の構築を追求する上で欠かせない土台と言える。
しかし、実際には各フェーズの政策目標が自己目的化する例は少なくない。例えば、世界の災害事例を見ると、(1)緊急対応のフェーズにおいて外部からの支援団体が殺到し、人道支援を大規模に実施することがある。その際、しばしば支援団体の活動期間に合わせて短期的な目標設定がなされる。人命救助や緊急物資の供給、医療サービスの提供や住宅・学校等の再建を大規模に実施し、その後、多くの支援団体が被災地を離れてしまえば、(2)復旧復興のフェーズにおいて域内消費や労働需要の減少により経済活動が停滞する場合がある。これは、短期的に大規模な復旧事業を実施することで一時的に復興需要が膨張し、その後の事業終了に伴ってそれが剥落した結果、景気の低迷が訪れる現象と同じである。
また、(2)復旧復興のフェーズにおいて破壊された公共インフラや都市基盤を元通りに復旧させることは、迅速に社会活動を再開する上では重要な選択肢の一つであるものの、そのような選択をした場合には、その後の地域経済の生産性向上のみならず、(3)減災のフェーズにおいて社会の防災力を高める機会を逸してしまうことになる。例えば、阪神・淡路大震災では、当時、兵庫県知事であった貝原俊民氏は倒壊した高速道路の原型復旧よりも地下化による再建を主張したが、結局は、原型復旧を行わざるを得なくなった。結果、神戸市の都市景観の改善や土地の利活用だけでなく、地震に対して頑健な交通体系について再検討する機会を失うことになった。
このように災害管理サイクルの各フェーズにおける政策目標が自己目的化すれば、時間軸に沿って変化する社会的ニーズに即応した政策対応の実施が困難となるだけでなく、結果として、市民の生活再建や新しい地域社会の実現、引いては災害に強い社会の構築に支障をきたすこととなる。政府は災害管理サイクルを意識しながら、常に各フェーズの一歩先を予測したシームレスな政策対応を行う必要がある。
3.新型コロナウィルスにおける感染症管理サイクル
こうした災害管理サイクルの概念を用いて、今回の新型コロナウィルス感染症における政策対応について、感染症管理サイクルの観点から考察してみたい。
災害管理サイクルと感染症管理サイクルが大きく異なっている点は、長期に渡る緊急対応を余儀なくされる点にある。緊急対応における政策対応のあり方とその実施期間である。様々な感染症対策の専門家によれば、今回の新型コロナウィルスが収束するには、以下の点に留意する必要があるという。
(a)半年から2年程度と長期戦を想定する必要があること
(b)収束までの間は流行と小康状態を繰り返す可能性が高いこと
(c)最終的にはワクチンの開発が収束の決め手となること
自然災害において被害の発生期間が数ヶ月にわたるような事例は、国家規模の大洪水を除けば少ない。上記のような現象はパンデミックにおける特徴と言って良い。こうした事情を勘案すれば、新型コロナウィルスにおける感染症管理サイクルは概ね図2のようになると考えられる。
図2 新型コロナウィルスにおける感染症管理サイクルとその政策対応
(筆者作成)
(1)緊急対応フェーズにおける重要な政策目標は、感染者の拡大を阻止することにあるということになる。同ウィルスの感染拡大は、それ自体が多くの死者を生み出す可能性があるだけでなく、感染患者の増加が医療崩壊を引き起こし、間接的に死者を大きく増加させる恐れがある。災害管理サイクルの緊急対応フェーズにおける政策目標が、短期的に災害被害の軽減を図りつつ生存者のニーズを満たすことであることに鑑みれば、感染症管理サイクルの緊急対応フェーズにおいて感染拡大の阻止が最も重要な政策目標とされることは理に適っている。
ここで行われる政策対応の例としては、クラスター対策やPCR検査による感染者の特定・隔離また感染パターンの分析、新型感染症患者に対する治療サービスの提供、医療施設や人材に対する物心両面からの支援、感染拡大の阻止に向けて外出や社会活動の抑制、テレワークの推進、ソーシャルディスタンスの確保や手洗い・うがい・マスク着用の奨励等といった手段が挙げられる。
これに対して、(2)復旧復興フェーズにおける政策目標は、災害管理サイクルと同様に、感染症により社会生活に直接間接の影響を受けた市民の生活再建および地域社会や経済活動の復興ということになる。これは、被害の原因が自然災害と感染症では異なるものの、求められる政策対応のあり方には両者で大きな差がないことから理解できる。政策対応の例としては、都市基盤や公共インフラの開発、地域開発に向けた規制緩和や公的投資、企業活動への投資促進や起業・イノベーション活動の支援、文化活動の振興、景観や自然環境の整備の他、市民に対する就労支援、教育や技能形成に向けた投資、所得再分配等が挙げられる。なお、こうした一連の政策対応は、総合復興計画として市民主導で地域の実情にあった形に集約されることが望ましい。
(3)減災のフェーズにおける政策目標も、災害管理サイクルにおけるそれ同様に、将来のパンデミック発生による被害の軽減が掲げられることになる。ただし、政策対応の手段としては、自然災害とは異なり、パンデミック関連法制の整備・体系化、市民による感染症対策の奨励、公衆衛生環境の改善に向けて、例えば、医療体制の充実や医療人材の育成、緊急事態宣言の発令に関連した基本法や政策手続きの整備、日本版疾病予防管理センター(CDC)を含むパンデミック専門部隊の設置、都市環境や混雑の改善、働き方改革や情報化の推進、公衆衛生教育の普及といったことが挙げられる。
4.感染症管理サイクルはスムーズに推移するのか?
ところで、こうした感染症管理サイクルを進める上で、われわれは災害管理サイクルとは異なる深刻な問題に直面することになる。パンデミックでは感染症の収束に時間を要するため、緊急対応の期間も相応の長さとなることが予想されるが、復旧復興のフェーズを開始するためには、感染症の収束を確認しなくてはならない。言い方を変えれば、(1)緊急対応のフェーズが十分に終了しないうちに、(2)復旧復興に向けた政策対応を拙速に行おうとすれば、かえって(1)、(2)両方のフェーズにおける政策目標の達成を難しくする可能性がある。
地震、津波、台風、洪水といった自然災害においては、緊急対応が始まる頃には災害自体が収束している場合が多く、並行して復旧復興に向けた政策対応を徐々に本格化していったとしても、大きな問題は生じない(災害直後の混乱期に十分な市民の合意を得ずに復興政策を計画立案、推進することが問題であると指摘されることもあるが、これは災害自体がこうした政策形成における問題をもたらしているというよりも、災害時に社会の脆弱性が現れていると解釈する方が自然である)。
しかし、パンデミックにおいては、感染症の流行が収束しない限り社会生活が通常運転に戻ることは実質的に難しいため、復旧復興に向けたフェーズを開始することができない。加えて、もし感染収束の前に社会活動を平常化したことで再び流行を引き起こすようなことになれば、改めて(1)緊急対応のフェーズから政策対応をやり直す必要が出てくる。
このように、パンデミック下においては復旧復興に向けた政策対応は感染症の収束を確認した後に実施せざるを得ない。このため、たとえ長期的な時間を要したとしても、緊急対応フェーズの間はその政策目標を優先し、そのための政策手段を講じ続けなければならない。つまり、それだけ経済や社会活動の復興には遅れが生じざるを得ないということになる。
(続く)