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災害研究者が新型コロナウィルス感染症について考えてみた(9)感染症と政治的変動

8月28日、安倍総理が辞任を発表した。

本人の体調悪化が主たる原因であるとしつつ、コロナ禍への対応に一定の目処が立ったことも一因であることが辞任会見で説明された。

これを受けて、これまでのコロナ対策を含む一連の政策に関する検証もそこそこに、主要メディアの関心は既に後継候補選びへと移っている。

後継者候補と目される複数の議員の出馬動向や、総裁選での党員投票の有無等、様々な報道がなされているが、一連の報道産業の動向を目の当たりにすると、まるで日本ではコロナ禍が過ぎ去ったかのような錯覚を覚える。

新規感染者数がピークアウトし、重症患者数が想定内の数値に収まっており、感染症法における新型コロナウィルスの位置付けを二類から見直す動きが見られる様になったとは言え、感染症管理サイクルで言えば、現状は「緊急対応」のステージに位置している。

しかし、現状への「慣れ」を差し引いても、緊急事態が継続している中にあって、総理の辞任と総裁選による政治的移行を見つめる世論の眼差しに非常時の緊張感は見られない。

そこで、ここではパンデミック下における政治的変動について考えてみたい。

1.日本における政治権力の移行体制

米国では、大統領がその任につけない状態になった場合に備えて、事前に継承権が設定されている。副大統領を始めとして上下院の議長や閣僚が権力の座に就くことになっており、その順序まで詳細に連邦法により定められている。このことにより、緊急時にあってもスムーズな権力の移行が可能になるとともに、周囲はその政策の方向性を予見性を以て予測することができる。

なお、上下院で捻じれ現象が起きている場合は、野党議員が権力移行の対象になることも有り得る。実際に、現トランプ政権では、下院議長のナンシー・ペロシ議員がペンス副大統領に次ぐ第3番目の継承権を持っている。

他方、日本では数名の継承候補が設定されているものの、米国並に先々までの継承権が設定されているわけではない。内閣法9条によれば、継承権の順番は、第一に麻生太郎副総理兼財務相、第二に菅義偉官房長官、第三に茂木敏充外相、第四に高市早苗総務相、第五に河野太郎防衛相となっているが、6番目以降の順番は決まっていない。一説には、「(継承権の順番は)その時の閣僚や派閥の長の大物度によって決まる」と嘯かれることもある。また、今回の安倍総理の辞任のように、継承権を持つ臨時代理を置かないという選択も有り得る。このように、日本においては、政治権力の継承対象やその時期の不透明性が高い。

このことは、遅滞なく政策を推進する上で障害となるだけでなく、行政官僚のみならず企業や市民にとっても不確実性を高めてしまうことになる。加えて、大災害やパンデミックから政治が安全であるという保証はない。仮に映画「シン・ゴジラ」のように災害時に副総理や閣僚といった継承権の保有者が軒並み犠牲になれば、権力を移行させることは容易ではないだろう。

2.災害時の政治的対立の効用

災害時には、2004年のインド洋大津波のように政治的対立の雪解けが起きるような事例も存在するが(同津波後、インドネシア政府と自由アチェ運動は和平協定を結んだ)、対立が先鋭化することも珍しくない。しかし、こうした政治的対立が政策形成の上で奏功する場合もある。

2011年、タイでは9月頃から12月初旬にかけて歴史的な大洪水が発生し、国土の大半が大きな被害を受けた。当時、与党のタイ貢献党の党首であったインラック・シナワトラ首相は、その災害対応が後手に回ることも多く、市民から批判を受けることも多かった。そうした最中、前首相であり野党民主党の党首であるアピシット・ウェーチャチーワ氏は与党の失策を国会で追求することも少なくなかった。実際に、アピシット氏は、洪水対策の責任者でもあったプラチャ・プロムノック法相に対する不信任審議案を国会に提出している。

しかし、同時にこうした対立の背後で、アピシット氏はインラック氏に対して非常事態宣言の発令を提案する等、政治的な協議も行っている。災害時は与党と野党の間で政策的な対話を行いやすい環境が現れるのかもしれない。野党と与党の連合は見られないにしても、こうした政治的対話がなされることで、与党にとっては政策の選択肢が増えるだけでなく、政策形成において国会での支持を得やすくなる。

実際に、今回の国内における新型コロナウィルスの流行拡大初期においても、野党から与党に対して幾つか政策の提案が見られた。与党としてはこうした政策提言を受けたことで、国会での合意形成を進めやすくなった。

3.自民党総裁選の狙いは?

今回の安倍総理の辞任に際して、継承権の観点から言えば、副総理の麻生太郎氏が臨時代理としてその任を引き継ぐことが適当ということになる。しかし、報道を見る限り、そうした方針を取らないことに関して批判的に言及している記事は驚くほど少ない。

また、辞任を発表したとは言え、総理の職にしばらくは留まる安倍首相が自ら臨時代理を置かないという方針をほのめかしているということは、何らかの理由で自民党としては総裁選を実施したいと考えているということになる。しかし、そのことについて深堀りする記事は少ない。

総裁選の手法の選択においても説明が曖昧である。新総裁を決めるにあたって、党員投票まで行えば2ヶ月もの期間を要するということが、両院議員総会で決着を図る理由として説明されている。しかし、事態の緊急性に鑑みるならば、継承権に沿って麻生氏が臨時代理に指名されるべきだろう。仮に、麻生氏も健康不安を抱えているというならば、次点は菅官房長官である。現在の派閥工作の動向を見れば、菅官房長官が総裁レースをリードしているという。そもそも総裁選を行う必要はなかったのではないか。

他方で、与党である自民党は野党との協調を志向する気配は見られない。一連の新型コロナウィルス対策の結果、安倍政権の支持率は継続的に下落していた。また、野党は立憲民主党と国民民主党が合流に向けた調整を行っている時期でもある。感染症の収束もまだ覚束ないことも考えれば、時限的に一部野党との連立を図るか、政治理念が近い野党議員を与党へと勧誘することも選択肢として取り得るはずである。しかし、こうした動きは全く見られない。

4.見えてくるもの

つまり、与党自民党は、安倍総理の体調悪化に伴って権力の移行が必要な現状を、緊急時において政治的移行が必要な状況と捉えていないのではないか。むしろ、緊急時を表向きの理由にして、政治的安定性を高めるための機会として活用しようとしていると考えられる。

では、なぜ現在のコロナ禍の状況下での総理交代に自民党は緊急性を感じないのだろうか。これは筆者の推測だが、現政権はコロナ禍を経済問題と割り切ったのではないだろうか。

緊急事態宣言を発出した後、一連の政策対応への批判として、感染症やその対策による経済的影響が繰り返し指摘されてきた。感染症の流行が拡大するにせよ、ロックダウンを含む感染症対策を講じるにせよ、これらが経済活動に与える影響は甚大であった。

しかし、つまるところ経済問題は平時の政策課題と認識されやすい。皮肉なことだが、大災害のように数万人の犠牲者が出るというような事態が起きていない中で、コロナ禍による経済被害が強調されたことで、コロナ禍は平時の経済問題へとすり替わってしまったのではないか。

現在、総理交代報道における関心は、党員投票を行わずに総裁選を実施することが露骨な石破降ろしではないかという話題に集中している。しかし、本来は、コロナ禍にあって総理交代が政策の継続性の障害とならないかが議論されなくてはいけないのではないか。また、総裁候補の発言の中を見ても、新型コロナウィルス対策における言及が驚くほど少ない。こうしたことも、政治の世界でコロナ禍が今は緊急事態として認識されていないことを裏付けている。

結果的に、コロナ禍における緊急事態は、政治的には終わった問題として扱われているように思える。今後はウィルス対策への報道よりも、新総理の下での新しい政治方針や経済政策のあり方に関心が移っていくかもしれない。

5.今、平時に回帰できるのか?

コロナ疲れなのか、報道産業の関心が移ろいやすいからなのか、新規感染者数がピークアウトしてきていることを受けて、自粛の継続や過度なコロナ対応を批判的に報道する記事も見られるようになってきた。こうした意見に対する支持の高まりは、経済活動だけでなく政治の対応も平時に回帰することを後押ししているように思える。

しかし、平時への回帰は時期尚早かもしれない。5月から6月頃にかけて大幅に低減した新規感染者数は、その後、再び大幅な増加に転じたことは記憶に新しい。今後、インフルエンザの流行と合わせてさらに感染者数が拡大する可能性は捨てきれないだろう。

加えて、感染が収束すれば危機が去ったことにはならないかもしれない。新型コロナウィルスは未知のウィルスであることは当初から繰り返し指摘されてきた。実際に多くの患者が回復するにしても、後遺症が残ることを指摘する記事もある。今後、ウィルスの新たな特徴や症状が発見される可能性もないとは言えない。こうした人々への医療支援だけでなく、生活支援や就労支援の問題も大きな社会問題となる可能性がある。

6.総裁選に求められる役割

果たして、事態の収束を見ない今、総理交代に時間を費やすことが適切なのだろうか。以下では二点指摘しておきたい。

第一に、継承権に従って権力を移譲せず総裁選を行うのであれば、形式上の総裁選出を行うよりも、実質的な政策議論を行うことで、今後の与党の政策対応の方針やその代替案について明らかにすることが求められる。

コロナ禍に対してどのような戦略的な対応を行っていくのか、これまでも不透明な部分が多かった。様々な候補が積極的に論戦することで、各候補のコロナ対応の戦略の全体像が明らかになるのであれば、そのために一定の時間を費やすことには意味があるかもしれない。

しかし、実際は、新総裁の選出により政権の支持率向上を図ることが目的であるにしても、そうまでして与党が推進したい政策の姿が見えてこないことが気がかりである。例えば、コロナウィルス対策も含めて、与党が世論が支持する政策を選択できるように、多様な候補を立て総裁選において議論を行い、その過程で期待される政策を抽出して、新政権の支持率向上と政策目標の明確化を図るというのであれば理解できる。しかし、現状、報道される情報の多くは政治家同士の人間関係や派閥の相場観に関する憶測でしかなく、真摯な政策議論がなされているとはとても言えない。

コロナ禍の現状を踏まえた上で、緊急時に対応するためのスムーズな政治権力の継承よりも、来年の選挙対策が気になるというのであれば、それはそれで理由を説明する必要があるだろう。

しかしもし、そうした説明ができないのであれば、継承権を元に麻生副総理に臨時代理を務めてもらうことが適切な対応と言える。何らかの理由で麻生副総理が固辞するのであれば、そのまま菅官房長官が臨時代理ということになる。いずれにしても総裁選は必要ない。

第二に、総裁選を行うことで安倍政権のコロナ禍における経済政策を批判する機会を作ることには価値があるかもしれない。未知の脅威に対する対応が難しい点を差し引いても、同政権のコロナ対策における経済支援には問題が多かった。それを修正するためには、その誤りを総裁選で批判することが必要だろう。

コロナ禍での経済政策のあり方を考える際には、感染症管理サイクルのステージ毎に分けて考える必要がある。緊急対応、復旧復興、減災という3つのステージで言えば、新規感染者数が一定程度出現している現状は緊急対応のステージに当たると考えられる。緊急対応のステージにおける政策目的は「感染症の収束を図ること」である。感染症の収束を見る前に経済活動の復興を図ろうとしても、感染症の再拡大が起きるたびにまた緊急対応のステージへと逆戻りせざるを得ない。

感染症の収束のためには社会活動の抑制を図ることが有効であったことは、Stay Home後の新規感染者数の減少を見れば明らかである。例え、三密状態の回避を徹底し、テレワークを推進しようとも、生活環境や職場によっては限界がある。PCR検査を徹底することで経済活動の再開を図ろうにも、(感染を拡大させる可能性のある)無症状の人々も含めて大多数の人々に恒常的にPCR検査を実施し続けることは、資源の制約上、難しいだろう。ウィルスが社会活動に比例して拡散することを考えれば、より問題が小さな内に早期にロックダウンを含む抜本的な対策を行っていた方が、その後の経済活動への影響は少なかったと考えられる。実際に、中国やニュージーランドは感染を収束させた後でも、僅かに感染者が出た段階でロックダウン政策を行っている。中東には「どれだけ遠くまで来たとしても、その道が間違っていたのであれば引き返せ」という諺があるやに聞くが、感染拡大を見て抜本的な対応を躊躇すれば、それだけコロナ禍が社会に与える影響は長期化しかねない。

緊急対応のステージにおける経済政策の観点からは、中小企業への金融支援や休業補償、また市民への現金給付は防疫投資として効果的であったと考えられる。一連の政策は、Stay homeや社会活動の自粛に伴う経済活動への影響を(完全に相殺できたとは言えないものの)緩和することができたのではないか。また、経済的に厳しい立場にある人々の中には、ウィルスに罹患するリスクを取ってでも経済活動を継続しようとする人々もいたかもしれない。そうした人々の生活を保障し社会活動を抑制するためには、現金給付による経済支援が欠かせなかった。

ただし、こうした政策には多額の財政支出が必要となるため、同時に税制改正に向けた議論もスタートするべきだった。国債の増発は避けられないにしても、消費増税にとどまらず、課税所得の捕捉率向上や金融所得課税の累進化を検討しても良かったのではないか。

他方で、感染の収束が確認されない内に、社会活動を平常化しようとしたり、景気対策を実施しようとしたことは失策であった。例えば、「Go To Travel」や「感染症対策と経済活動の両立」は、本来、緊急対応が終わった後の復旧復興期において推進するべき政策だった。(個人的に、Go To Travelは観光需要の先食いにより消費に大きな変動を生み出すことで、かえって観光業界に悪影響を与えると考えられるため、望ましい政策とは言えないと思う。)緊急対応時にこうした政策を推進すれば、結局は感染の拡大に伴って緊急対応の期間が長期化し、その後の経済的影響が深刻化することになるだろう。また、「正しく恐れよ」という掛け声の下、感染が小康状態の地域や職場で平時の如く経済活動を再開しようとしても、人々の行動がコロナ以前に回帰するとはとても思えない。客観的な安全性の議論だけで、人々の安心が確保できるとは限らないのである。結果的に、多大なコストをかけてまで抑え込んだ新規感染者数は再び増加に転じてしまった。

今後、新総裁の下で、安倍政権の経済政策を継承するのか、それとも、再びロックダウンを含めた社会活動の抑制とその影響の緩和に向けた経済支援からやり直すのか、総裁選で議論することには意味があるかもしれない。しかし、こうした議論を行わず、安倍政権下の経済政策を継承するというのであれば、やはり総裁選を行う意義は薄いだろう。

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