信仰
物事を好き嫌いで測るのは必要なことだし、自分でもやることはたくさんあるけど、「好き嫌い」で物事を測るのは嫌いだ。
うはは。「嫌いだ」だって。言うてるそばから。
「好き嫌い」とは個人主義の極致で、それを良いこととする風潮がある気がするのだが、最近はどうなんだい、君達。
どんなことでも「好き」と「嫌い」のこの二つの言葉で終わらせられる。
そういうの馬鹿らしいってもう皆さんお気付きにあらせられてるのだろうか。
「いや、あのバンド、演奏はまだまだじゃないかなあ」「いや、でも俺は好きやし」はあ?お前の好みの話にすり替えて僕の前に壁作るなよ。どつくぞ。
「ピザの上のナス食べれるなら焼き茄子もいけるやろ」「いや、なんか嫌いやねん」食えよ。もしくはもっと詳しく説明しろよ。
それ以前に良し悪しがあるという事を改めて考えているのだが、どうなんだい、君達。
好き嫌いの物陰に隠れて、良し悪しを知る努力を諦めていないかい。
僕はね、最近大きなものの中に身を委ねることは必要な事じゃないかと考えています。例えば「音楽」。例えば「良心」。「社会」でも別にいいんだぜ。
個人主義と全体主義のバランスをとることが必要だと思う。
それ即ち盲信ではない、信仰心を持つこと。
排他的ではないが、絶対的な信仰心を持つこと。
そこには知識も必要だし、広い視野も必要だと思う。
難しかろう。
僕自身今書いてて「むっず。ややこ。」と思っている。
まずは「音楽が好き」と言うのはもう辞めて、
「音楽を信仰している」とこれから言っていくことにする。
変な目で見ずに君達も飛び込んできたまへ。
我々の信仰心をぶつけ合い、連綿と続く音楽の歴史の聖書から引用を繰り返し、ガムランのように煙草をふかし、酒を飲んでは五体投地をする仲になろうではないか。