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現地のありのままを崩さない。人の心に寄り添った ”お手伝い” を心がけたい。

 こんにちは。写真家のMiNORU OBARAです(自己紹介はこちら)。この記事を執筆しているまさにいま、窓の外では雷鳴が激しく轟いています。みなさまの地域は大丈夫でしょうか。明らかに気候が変動している。ここ数年で痛感しております。ひ孫の世代にも美しい地球を残したい。そのためにできることから始めていきたいと思う今日この頃です。

 さて、本日の本題はここから。

 本日は「優しさ」のお話を。僕の家族が住むカンボジアの村にまつわるストーリーです。

 僕の記事をお読みいただいている方の中には、僕にはカンボジアに、とても大切な家族がいることをご存知の方は多いかもしれません。僕はその村に何年もの間通い続けています。いや、通い続けていま ”した” 。

 そうです。パンデミックが世界を席巻するまでは。

 ウィルスが世界に蔓延し始めた2020年の2月が、現段階での僕の最後のカンボジアであり、カンボジアに帰ることができない記録は悲しくも更新され続けているわけですが、そんな中でも村の家族とは連絡を取り合っています。

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彼女たちはいつも僕に、

「ご飯食べた?」

と聞いてきます。

 カンボジアでは定番の「ご飯食べた?」の挨拶ですが、彼女たちに会えなくなってからというものこれほど胸に染みたことはないほどに、僕は日本にいながらにしてその言葉を噛み締めています。

 何しろ、このパンデミック下で、ご飯を食べるのが難しくなってしまったのは、僕の方ではなく、カンボジアに住む家族の方なのですから。

 さて、おとといのことでした。それは七夕の前夜でした。

 いつものように、僕は彼女たちにボイスメッセージを送りました。

 その返事に僕は耳をいました。

「家族がコロナに感染した。」

彼女の話すカンボジア語が、僕の耳にはそう聞こえたからです。

 青ざめました。

 日本とは違い、カンボジアの村は医療体制のかけらもなく、そもそも必要な医療費は莫大で、家族たちには払えるはずもないからです。それに加え、村は日本とは比べられないほど不衛生です。

 僕は心を落ち着かせながら、一言一言丁寧に聞き返しました。

「家族がコロナにかかったのかい?」

彼女も一言一言丁寧に答えてくれました。

「家の、近くに、コロナが、来た。」

どうやら、家族が感染したわけではないようでした。しかし、小さなその村に感染者が出てしまったようでした。

 僕にとって、とてもとても大切な村です。世界中どこでも命の重さに差はないものの、やはりその村にウィルスがやってきてしまったことに、僕は少なからず動揺しました。

 僕は聞きました。

マスクや、消毒液はあるかい?」

彼女は答えました。

ない。街まで行けばあるけれど、ここからは街まで行けない。村は病院も薬局も閉まっている。

 その声には、ウィルスに対する恐怖が滲んでいました。

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 さて、どうしたものか。

 この先ひと月の仕事を全てキャンセルして、カンボジアへ飛んで行こうか。そんなことまで考えました。しかし、マスクはまだしも、消毒液は飛行機に持ち込めません。

 気がつくと、僕はある仲間たちにメッセージを送っていました。

 その仲間たちとは、『クメールエール』という名の、カンボジア好きが集まって立ち上げたグループです。

 そのメンバーは旅写真家の僕、フリーアナウンサー海外技能実習生を受け入れているお父さん、国内外問わずみんなが集えるお家を営む夫婦、行き場を失ってしまった猫たちの保護に人生をかけているお母さん、そして、これまで交流を続けたたくさんのカンボジア人の仲間たち、と、バラエティに富んでいます。

 僕たちはこれまでも細々と、カンボジアを想って活動を続けてきました。

 そんな仲間たちに、僕は助けを求めました。

「村の家族に、マスクと消毒液を届けたい。」

すると、すぐさま仲間が立ち上がってくれました。

 すぐに現地のカンボジア人に連絡をしてくれました。

 現地のカンボジア人は、僕の家族が住む村の近くに住むカンボジア人に連絡をしてくれました。

「日本の大切な家族が、助けを求めている。」

と。

 あっという間でした。

 もしも、僕が現地に飛ぶ決断をしていたら・・・・。まずは仕事を全部キャンセルして、飛行機を手配。PCR検査を受けて、数日後に証明を受け取って、現地で14日間の隔離。その後、町で消毒液を買い、車を借りて、村へ走る・・・・。

 どんなに急いでも20日はかかります。

 それが、七夕の次の日。助けを求めてからたった2日で、村にマスクと消毒液、おまけに体温計までもを届ける手配が整ったのです。

 村の家族を助けるつもりが、仲間に助けられたのは、僕の方でした。

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「支援」とは、一体なんだろう。

 僕は日頃から考えます。

 ネパールの村に滞在していた時、現地のおばちゃんが話していたことが、今でも引っかかっています。

「海外ボランティアは、来たい時にやってきて、嵐のようにさっていく。そして、結局、何も残してくれない。」

 その言葉を聞いてからというもの僕は、「できる限りその土地に寄り添って、その土地にありのままを荒らさないように笑顔を増やしていきたい。」と考えるようになりました。

 今回は、日本から現地へ足を運ぶことが叶わない中で、現地の人同士が協力をしてくれました。

 あるカンボジアの友人が、カンボジアの友人に助けを求め、その友人が、僕の家族へ物資を届けてくれたのです。

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 大切なのは「地産地消の仕組みづくり」

 たとえ違う土地からやってきて、大きなショッピングモールを建てたとしても、きっとそこには格差が生まれます。さらには、もしもモールが撤退してしまったら、後には何も残りません。それどころか、モールによって潰されてしまった地元の商店すら残りません。

 仲間たちの迅速な対応と、なにより人を思いやる優しい気持ちが、僕の胸をとても温かいもので包み込みました。

 そして、パンデミック後の僕のライフワーク実現へのヒントも頂けたような気がしました。

 この場を借りて、仲間たちと、その優しさへ、感謝します。

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 本日も文末までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 また次の記事でお会いしましょう。

□ 写真集『アフターコロナに会いましょう -完全版- 』

□ Uncle AFRO web site

□ カンボジアの家族との暮らしで気づいた『LOVE ON THE TABLE』がTシャツになりました

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写真家 MiNORU OBARA
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