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安倍首相アメリカ議会演説の読み方

2015/05/01 nippon.com

アメリカ議会におけるアメリカ向けの演説

2015年4月29日、安倍晋三首相は、日本の首相として初めてアメリカ合衆国連邦議会の上下両院合同会議で演説を行った。

内外の注目は、日米2国間のテーマよりも、むしろ歴史問題についての安倍首相の発言に集まっており、各国メディアもこの点についての報道が目立った。今年が第二次世界大戦終結70周年にあたり、8月には、「戦後70年」首相談話が発表される。中国、韓国による歴史認識についての対日非難が、20年前に比べ熾烈になっていることもあり、1995年に発表され、その後の歴代政権が受け継いできた「村山談話」を、安倍首相も継承するか否かへの注目は当然であるとも思える。

だが、あくまで日本の首相のアメリカ議会での演説であり、いうまでもなく語りかける対象はアメリカの議員たちであり、アメリカ国民である。そこで近隣諸国向けのメッセージを発するというのは、いささか筋違いであり、しかも外交儀礼上、問題があると思われるのだが、現実には歴史問題関連への文言に興味が終始した。そして、そのためにこの演説、さらには前日行われた日米首脳会談と共同声明がもつ、戦後日米関係での大きな意味が見えにくくなっていると思われる。

そこで歴史問題も含め、この演説の内容を解読してみることにする。

3つで1つのメッセージ

外交演説であるのだから相手を持ち上げ友好関係を誇示する修辞にあふれるのは当然だが、その点は割愛して、コアになる論点を整理すると、3つになる。①日米間の戦争和解、②戦後の世界秩序への評価とその強化としてのTPP積極推進、③一連の安保法制改正と新ガイドラインなどにより日米同盟が新たなステージに上がったこと——である。

②と③は、前日の日米首脳会談と共同声明の内容そのものであるが、この3つは連関している。ここで①から3つ並べると、その歴史的な意味がよく理解できる。

第二次世界大戦後の世界秩序は、戦勝国であるアメリカを中心に形成された。その基本となるシステムは、集団安全保障、自由貿易体制、管理通貨制度で、第一次世界大戦後も模索されたが失敗したものであった。いずれもマルチシステムとしては理想通りには機能してこなかったが、それでも代替としてアメリカが単独で、これらのシステムのインフラとなることで、世界秩序として成り立たせていた。そして世界は空前の繁栄を迎えたのである。

安倍首相の発言にあるように、この戦後システムの最大の受益者は日本であった。日本はかつて、市場としては不十分な規模の海外領を国際秩序を破壊するまでの軍事的拡張を行って確保しようとし、さらに国際社会からパージを受けると戦争に踏み切ったが、主要エネルギーとなる油田地帯をわずか3年数カ月抑えただけで破滅した。その国が戦後、アメリカの作った世界秩序に組み入れられることで、ほとんどコストゼロの安全保障、激安で無尽蔵の海外資源、アメリカという世界最大の市場を手にすることができた。日本にとって、大戦でのアメリカに対する敗戦は繁栄の扉を開くことになったのである。

さらに前に進むための戦後和解

その戦後世界システムは、冷戦の終結、度重なる経済危機、イスラムテロの拡散、新興経済国の台頭などによって変調をきたしてきた。特にアジア太平洋地域では、アメリカの退潮がパワーバランスの変化を呼ぶまでになっている。安倍演説のメインストーリーは、このシステムの価値を改めて評価し、再強化を訴え、日本が全ての面でコミットすることを約束するということなのである。

日本が安全保障上の戦後の制約を事実上外し、西半球での米軍の活動を安定的なものとする。さらにGATT/WTOによるマルチ世界自由貿易体制をあきらめ、日米によるTPPの締結をてこにアジア太平洋地域に自由貿易圏を創出し、アジアの、そして世界の自由貿易体制のデファクト・スタンダードにする。それはもはや「戦後世界システム」ではなく「新世界システム」である。その当然の帰結として、第二次世界大戦の主要交戦国である日本とアメリカの最終的な戦後和解が必要になっているのである。それが①~③が1つのメッセージになっている、という意味なのである。

「硫黄島の和解」を再現

注目の歴史問題への言及では、「深い悔悟」「とこしえの哀悼」「痛切な反省」などの言葉が使われ、その軽重と意味する範囲について世界中で甲論乙駁が繰り広げられているが、筆者の見るところ、最も注目すべき点は別にある。硫黄島の戦いの参加者であるローレンス・スノーデン海兵隊元中将と硫黄島守備隊司令官であった栗林忠道陸軍大将の孫、新藤義孝前総務大臣が、安倍首相の紹介により傍聴席で立ち上がって握手し、議場の全員からスタンディング・オベーションを受けた時である。

安倍首相は演説の中で「その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」というスノーデン元中将の言葉を引用し、1985年以来続いている硫黄島での日米合同慰霊祭の意味を紹介した。実は、この、戦勝国、敗戦国の別なくお互いの戦死者、犠牲者の存在を認め、合同で分け隔てなく追悼するという「相互追悼」は、第二次世界大戦の戦後和解の世界的なスタンダードになっている。ここには一方的な「非難」と「謝罪」は一切入り込んでいない。この「硫黄島の和解」をアメリカ連邦議会の議事堂で再現したのである。

やっとたどり着いた日米の地点

確かに和解とはいえ儀礼的なものである。しかし、このことは日米関係史の中でも特筆すべき出来事ともいえる。それというのも、20年前には、このような日米間の和解が連邦議会で行われるとは想像もつかなかったからだ。1995年、アメリカの国立スミソニアン航空宇宙博物館が「エノラ・ゲイ50周年記念特別展」を企画したところ、退役軍人会や民間団体から広範な反対が巻き起こり原爆被害の展示を削除する羽目になった。このときは連邦議会の多くの議員も反対に回った。

さらにである。展示変更が決まって2週間後、同じく第2次世界大戦で連合国の大規模無差別爆撃をうけ、万単位の犠牲者を出し、市街を破壊されたドイツのドレスデンで行われた「空爆50周年追悼式典」に、空爆を行った米英の軍のトップが参列したのである。日米は表面上の外交関係とは別に、米英とドイツ間の戦後和解からはほど遠い場所にいたのである。ようやくここまで来たというのが実感である。

もちろん戦後問題を考える上で、安倍首相が、この20年間、歴代の首相が継承してきた村山談話を自らも受け継ぐかどうかは重要な課題ではある。しかし、村山談話のポイントである、a.日本の国策の誤りとしての戦争原因、b.侵略の事実、c.植民地支配の事実、のそれぞれについての反省と謝罪については、a.については、今回の演説で言及があったが、b.c.はそもそもアメリカに対して直接は関係ない。アメリカとの戦後和解が最大のテーマなのだから、この件について触れないのは当然と言えば当然である。b.c.は戦後70年談話で取り組むべきことであろう。

何がどう転換したのか

戦後和解だけではない。90年代までの日米関係は、アメリカが日本の安全保障努力の少なさを非難し、市場開放へ圧力を加え続けるというのが基本構図であった。しかし、今回、まったく逆になった。安全保障については日本が自らの行動制限を取り払い、軍事費の削減が続くアメリカを東アジアにつなぎとめようとしている。TPPでも今回は、日本側が農協改革を行い合意への道筋をつけているのに対し、アメリカはオバマ大統領の民主党自体が支持基盤である自動車産業の要望で自動車部品の輸入関税という障壁撤廃に抵抗。オバマ大統領は、TPP交渉妥結に必要な「大統領貿易促進権限」を議会から与えられていないのである。

かつてであればアメリカの大統領が日本に来て、一層の防衛努力と市場開放を訴えるのが、お決まりの構図であった。しかし、今回初めて日本の首相が、保護主義と軍事予算削減の牙城、アメリカ連邦議会に乗り込んで、軍事同盟の強化、自由貿易交渉の受け入れを訴えたのである。

ゆえに今回の安倍首相演説は、日米関係において歴史的な転換点と位置付けてよい。

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