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コスト•パフォーマンス【100日間エッセイチャレンジ】
コスト•パフォーマンス、略してコスパ。
日本語にすれば、おおよそ「費用対効果」といったところであろうが、昨今は特に、コスパの重要性はそこかしこで騒がれる。
突然だが、私は名のある家事の中では
「料理」を最も得手としている。
(当時)教育テレビで絶賛放送中であった、子ども向けの料理番組に心惹かれ、ごく幼い頃から「料理ができる」ことに並々ならぬ憧れを持っていた。
そこには、仮にも「女性だから」とか「将来のため」とかそういう思いは一切なく、ただただ、食材や調味料を合わせて何か別のものを生み出す、料理という魔法に取り憑かれていた…のかもしれない。
それから数十年の時が流れ、少なくとも料理に対する苦手意識を持たずに、ここまで来ることができた。
今となっては、料理は楽しむものより日々の義務のようなものになってしまったがために、昔のようなワクワクはなかなか得られにくくはなっているものの、それでも幼い頃から続けてきて、とても良かったと思っている。
ところで、私が料理に対するストレスが比較的少なく済んでいる理由のひとつに、「料理に対するコスパをさほど感じていない」というところがあると思う。
これは実に都合の良い感覚だ。
私の友人たちは、既婚未婚問わず、いわゆるバリキャリ志向が非常に強い(素敵な)女性達が圧倒的多数なのだが、彼女達の中には「料理が好きではない」という人もそれなりにいる。
そんな彼女達の主張は一貫しており、
「何時間もかけて作っても、食べたら一瞬でなくなってしまう(から嫌だ)」
というところに集約されているのだ。
冷静に考えてみれば、これらは正論であり、疑いようのない事実である。
作る手間暇と、食べる時間の費用対効果が明らかに釣り合っておらず、端的に言えば「コスパが悪い」ということだ。聡明な彼女達の主張はまさに、ごもっともだと言うしかない。
しかも、料理には必ず、規模の大小はあれど、後片付けというものが待っている。
それらの時間まで含めれば、家事の中の料理は確かにコスパの良いものだとはお世辞にも言えないであろう。
世は空前の時短料理ブームでもある。
ほんの少し前までは、インスタ映えに見合う料理が脚光を浴びていたようだが、今は必ずしもそうではないという。
時短料理や有効な生活術などといったライフハック的な投稿が支持を集めているのだそうだ。
料理は確かに見映えも重要な要素であることは間違いがないが、常に”映える”料理が人々の琴線に触れるかといえば、必ずしもそうではない。
仕込みや成形、アク抜きや出汁取りなど、ありとあらゆる手間暇をかけた料理より、焼いただけ、市販のソースをかけただけ…といった単純な料理の方が家族ウケが断然良かったりすることは、意外とよくあることだ。
また、殊料理に関しては、
手間暇=愛情
とみなされる風潮が未だに根強い部分も、一部の人を苦しめているようにも思ってしまう。
少し考えればそんなことは断じてないと分かるはずなのだが、
時にはどうにも作っている側の方が、
「時短料理では愛情が薄い」と勝手に思い込んでしまったり、かと言って手間暇をかけたのに、家族の反応が思いの外薄いと、絶望してしまったり。
料理にコスパを求めることと、愛情をかけることが相反するように思われてしまっている、そのように思い込んでしまっているパターンが実は未だに多いということなのかもしれない。
私は幸いにも、その辺りの感覚は非常に鈍感なようである。
仮に手間暇がかかった料理を賞賛されなかったとしても、平気でいられるから、作りたいものを作りたいように作っていられるのであろう。
料理にコスパを求めるか、求めないか。
それはその人次第であるし、どちらを選んでも悪いことはひとつもないではないか。
時短料理や料理そのものを外注して、浮いた時間を直接家族と向き合うことに充てることだって、また尊いのではないかと、私は思う。