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運が良いのか、悪いのか【100日間エッセイチャレンジ】
運の良し悪しは気の持ちようではないか。
歳を重ねるにつれて、こう思うようになってきた。
子どもの頃の私は、自分は運が悪いと信じ込んでいた。
少なくとも、記憶の中のリトルな私は、「私は運が悪かったの」と、今なお叫び続けている。
長子として生まれ、何となく損をする場面が多いと感じていたのかもしれない。
学校でも、じゃんけんに負けて面倒な役を押し付けられたり、希望の係になれたことの方が少なかったり。
仲の良い友達ではなく、どうにも気の合わないメンバーとグループを組まされる度、自分の運の悪さ(が原因とは必ずしも言えないわけだが)を人知れず嘆いた。
子ども時代に限って言うなら、くじで大当たりを引いた覚えなどない。
例えばカプセルトイにつけても、「これだけは欲しくないな」というものを当ててしまったり(だから、どれが当たっても大歓迎、というものしか選ばなくなった)するのは茶飯事だ。
ある時、祖母と公民館の年末大掃除に参加した。担当場所をくじ引きで決めることになっていたのだが、私はものの見事に「トイレ掃除」を引き当てた。
ただ、予想に反してトイレ掃除はいちばん早く終了し、結果的に一抜けすることができた。
こうなると、タイトル通り運が良いのか悪いのか、今なおよく分からない記憶として刻まれている。
くじ運が優れている人のエピソードは、是非とも聞いてみたい限りだ。
色々な風向きが私の中で変わり始めたのは、小学校高学年の頃だったと思う。
それまでは希望者が殺到した場合、じゃんけんで決めるのが当たり前だった係や委員決めに、当時の担任が一石を投じたのだ。
「じゃんけんではなく、プレゼン投票で決めましょう」
つまり、何故その委員をやりたい(係になりたい)か、自分なりの動機を発表して、挙手投票の数で決めるということだった。
これは、じゃんけんに弱いだけでなく、当時から言葉数が多かった(一般的には生意気な優等生タイプと言えよう)、私には打ってつけだった
おそらくこの頃から私は「運ではなく実力(?)で」欲しいものを手に入れる術を知った、のかもしれない。これ以降、私は希望した委員会に入ることができるようになった。
自分に運がないと自覚していたからこそ、運に頼らず実力を身につける事の大切さに気づけた私は、やはり運が良かったのかもしれない。
やっぱり、運が良いのか悪いのか、という話になってくる。
思えば、子ども時代の私は何かにつけてネガティヴだった。
ほかならぬ私自身が「運の悪さ」を引き寄せていたに違いないだろうし、そもそも「運が悪い」ということになったのも、「あんたは本当に運がないな」「ついてない人だね」と、身内から言われ続けてきたことも大きな原因ではないかとも思っている。
後10年、否20年早くこの事実に気づいていれば、もう少し「運が悪い」などと思い込むことなく楽しい子ども時代が送れたかもしれないとさえ思ってしまう。
かの有名な松下幸之助氏も、幼少期、命に関わるような大怪我をしたのにも関わらず、「死なずに済んで運が良かった」と思ったのだそうだ。
そういったポジティブ思考が、多くの人の人生を豊かにし、自身の道を拓いていく柱になったであろうことは想像に難くない。
「自分は運が良い」と思い込んだ者勝ち、というのはあながち嘘でもまやかしでもないということであろう。
大谷翔平選手に至っては、高校時代から既にプロで活躍するためには、運も必要だと考えていたばかりか、自ら挨拶やゴミ拾いに精を出して、最終的には運「も」味方に付けてしまったようである。
その後の活躍はもはや私ごときが説明するまでもない。
かく言う私も、今では何だかんだ私も運が良かったのだと、思えるようにあなった。
行きたいところに行け、やりたいことをやるきっかけもいただくことができたからだ。
努力、だけではどうにもならなかったであろうところにまでありがたくも連れてきていただけたのだから。
だから、私の子どもたちには、
「あなたたちはラッキーなんだよ」と常に伝え続けていきたいとも思っている。
そもそも、この世に生まれて来られたそれだけで、我々ものすごく運が良いのだから。