手話、輝いて【100日間エッセイチャレンジ】
息子が入園し、新生活を始めたことを機に、私も何か始めようと思い立ったのは、今年の2月頃のことだった。
一応毎号目を通している市の広報誌に、それはあった。
【手話支援員養成講座(入門基礎)】
2023年度受講生募集
これだ。
1年間、平日の午前中に開講されるという。
実は、以前からこの講座には目を付けていたのだが、平日の夜が多く、子持ちの私には極めてハードルが高かったのだ。
長男が幼稚園に行っている時間になら、受講が現実的になる、と私は応募を即決した。
受講は抽選で決まるとのことで待機していたところ、3週間後に受講が決まる。
テキスト代数千円の実費だけで、45回も講座が受けられる(実質市から助成されているのであろう)のは、凄いの一言である。
やっと夢が叶う。
私はそう思い、大いにワクワクした。
実は、私は約20年前に手話を学んでいたことがある。
小学校のクラブ活動で、私は手話クラブを選んだ。
当時5年生だったが、6年生がいなかったため、自動的に私が部長になった。
クラスメートはおろか、同学年の仲間もほぼおらず、どうしてそんな変わったクラブを選んだんだと、半ば好奇の目で見られたことを覚えている。
ただ、今思い返すと、私も当てずっぽうに手話クラブを選んだわけではないのだ。
ろう者のヒロインと周辺の人々を描いた小説、
岡崎由紀子著
「アイ•ラヴ•ユー」
を当時読んでいたことが相当大きかったと思う。
母親が買って置いてあったものを、私も読んだのだ。
当時は、芦田愛菜さんには到底及ばないものの、私もなかなかの活字中毒で、手当たり次第に本を読んでいた。
「本は人生を豊かにする」こそ、手垢の付いた表現であるが、まさに言い得て妙である。
この小説をきっかけに、私は手話、というものだけでなく、聞こえない人達の思いといったようなものも知ることができた。
後に映像化(映画)もされていて、実際にろう者の女優さんが演じていたとのことだが、連続ドラマにしても耐えられる内容だと思う。
昨年、目黒蓮さんと川口春奈さんが出演して話題となったドラマ、「silent」でも手話が使われていたし、これがきっかけで興味を持った人もいるに違いない。
といったことを考えながら、初回の講習に臨んだ。
平日の午前中にもかかわらず、年齢層は様々で、定員25人いっぱいだったことにまず驚いた。
もしかすると、本当に抽選が行われたのかもしれない。
講師は、ろう者と聴者のふたりで、手話がメインの形式だった。
つまり、手話を手話で学ぶ、ということだ。
次回以降、授業中に声を出しての会話、発話は原則禁止となるという。
こうなってくると、さながら外国語を学ぶのと同じ感覚になってくる…。
というのは、幸いにも既に想像が付いていた。
私は、大学時代、日本では超が付くマイナー言語を専攻しており、大学の初講義が、その講義であり、しかも、来日したばかりのネイティブ講師だった、という経験がある。
もちろん私はその言語は一言も知らない上、この講師には日本語はおろか、英語さえろくに通じないときた。
…それでも最終的には何とかなった、のだから、まあ今回も大丈夫であろう、と私は思い当たった。
しかも、当時とは違い、私は少しながら「手話」を知っている。
当初、小学校で半年クラブ活動をしていた程度を「知っている」とするのはどうなんだ、とも思ったのだが、私を含めたほんの数人を除き、受講者のほとんどが手話を全く知らない状態だったのだ。
受講終了後、何人もの人たちが授業の過酷さを口にしながら講義室を後にしていた。
欠席連絡は不要だが、30分遅刻すれば欠席扱い、途中何度かレポートの提出が必要、75%出席しなければ、修了証がもらえない…等々、さながら大学の講義そのものである。
手話では、拍手は星をキラキラさせるジェスチャーのような動作をして表す。
※これだけでは何をどうするのか、分からない方々も多いのではないかと思う。写真などの静止画や文章では分かりづらく、覚えづらいというのが手話の難しいところであると私自身痛感している。
息子に負けないよう、1回1回の講義を大切にすることはもとより、1日1日キラキラした毎日を送っていきたいものである。
明日のタイトルは
雀百まで踊り忘れず
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