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球の体積【100日間エッセイチャレンジ】
どんなものにつけても、語呂合わせを最初に考えついた人は天才だとつくづく思うが、私がこれまで最も感動した語呂合わせというのは、球の体積の公式の他にないかもしれない。
V=4/3πr³
「身の上に心配あーるの3乗」
だ。
このほかにも覚え方自体はあるようだが、高校の数学の授業で初めて習った時、
「素晴らし過ぎる!」「考えた人すごい!」
と本気で思ったものだ。
だが、この公式、それほど登場機会が多いわけではない、ということだけは書き添えておかねばなるまい。それでも、今なお私の記憶に刻み込まれていると言う意味で、この公式の右に出るものはない、それだけは疑いようのない事実だ。
ところで、球(体)というのは何とも不思議な図形である。
啓林館の算数用語集によれば、
球とは
”空間において,ある定点から等距離にある点の集まり”
のことだが、高校時代、球の定義として、
「どこを切っても切り口が円になる図形のこと」
という解説をされたことを記憶している。
まあ、ナイフまで入れずとも、どこから眺めても円に見える図形である。
どの部分の寸法が狂っても、それは球になり得ないわけだ。
そこにあるのは、完璧な均衡。
そりゃあ、赤ちゃんも猫も、丸いものに「惹かれる」のも無理はない。
理系出身の私の弟も、球体の素晴らしさ、美しさをよく話題にしているように思う。
彼曰く、やはり球は「完璧な図形」であるという。
そんな彼は無類のボール好きで、さまざまな競技のボールを好んで収集している。
本人も自覚がなかったようだが、私がある時、
「そう言えばボールが好きだよね」
と話をしたら、上記のような答えが返ってきた。
スポーツ好きが高じてボール(球)が好きになったのか、はたまたボールへの興味からスポーツが好きになったのか…。
その辺りは卵が先か鶏が先かの無用な話になってしまうものの、球技と呼ばれるスポーツ自体、球体の存在がなかりせば成立自体が不可能であるし、何もスポーツに限らず、もしもこの世に球というものが存在しなかったら、一体どうなってしまうのだろう。
ドラえもんの「もしもボックス」でそんな事を喋ってみたら…
少なくともろくなことが起こらない、ということだけは疑いようもない確定事項であろう。
ところで、私は現在育児中の身であるが、
「身の上に心配あーる」状態が、あまりにも今の境遇とマッチしてしまっている。
育児で不安を感じたことのない人など、いつの世も、古今東西、皆無であることは確信しているが、心配や不安になろうと思えば簡単になれてしまうのだから甚だ困ったものである。
一昨日、生後5ヶ月の娘がBCGを接種した。
その日を境に、つるつるすべすべの左腕にさよならを告げたことになるが、BCGは、通常の予防接種よりも接種痕の様子見に気を配らなければならない。
接種後10日ほどで腫れてくるのが正常とされているようだが、それよりも短期間で腫れや膿が見られた場合(=コッホ現象)は、すでに結核菌に感染している可能性を疑う必要があるということだった。
かかりつけ医からは、
「まあ、まず起きません。結核に感染していれば、咳など他の症状もありますし」
とのことであったため、特に気にも留めていなかった。
ところが、予想に反して翌日に娘の腕は赤く腫れた。
現在3歳になる息子の時のことは、覚えてすらいない。
ただ、少なくとも翌日に腫れたと大騒ぎをした記憶はなかったため、すっかり不安になってしまった私は、昨日は丸1日「検索魔」と化してしまったのだ。
結局、不安とともに1日様子を見た翌朝すなわち本日、娘の腕の腫れは明らかに落ち着いていた。
夜になって、腫れは更に引いていることが分かり、私はやっと安心して、今に至っている。
身の上の心配がひとつなくなった、ということだ。
育児のみならず、何かにつけてすぐ不安になってしまうことを止められたら、どんなに良いだろうと常日頃から思っているのだが、なかなかそうもいかないから困ったものだ。
それこそ、球のようにどこからどう見ても、「まあるい」ふんわりした気持ちでいられたら、良いのに。