見出し画像

推し、推し、推し【100日間エッセイチャレンジ】

世は、空前の「推し活ブーム」である。

ほんの少し前までは、何かにのめり込む人は「オタク(ヲタク)」と呼ばれ、共感、賞賛には程遠い反応しか得られなかったように思う。
(「オタ(ヲタ)活」という言葉もしっかりあるため、厳密には区別するべきなのであろうが)

それにつけても、日本人は「活動(〜活)」という言葉が好きである。
思えば、2008年ごろに就職活動、すなわち就活になぞらえ、
「結婚活動=婚活」
という言葉が誕生してからというもの、終活、恋活、朝活、眠活、涙活…さらにはラン活、ヌン活などなど、ありとあらゆる「活動」用語が誕生していったのではないかと考えられる。

「推し活」もその一端ということになろうが、一方で、「同人活動」というワードは、既に20年以上前から聞かれていたように記憶している。

メッセージアプリやSNSが発達したことで、この手の活動は非常に充実するようになったとそこかしこで聞かれるし、いつからかメディアでも話題となっているコミックマーケットの盛況ぶりを見れば、明らかである。

まさに、「オタ活」や「推し活」が、日本経済を動かしていると言っても、過言ではあるまい。

ところで、この「推し」という言葉はいつ頃から使われるようになったのか。
私の記憶頼りで甚だ恐縮だが、
「AKB総選挙」(2009-2018)
の影響が大きいのではないかと思っている。
そのシステムや是非、功罪に関しては今更ここで述べるまでもないことだが、
「推しているメンバー」→推しメン
という用語が誕生するきっかけとなったのはまず間違いないであろう。

この「推しメン」という言葉は、2011年に流行語大賞候補にもノミネートされていたようだ。
事実、この年は第3回選挙で後にリリースされ、大ヒットを記録した「フライングゲット」の選抜メンバーを決めるものであったことからも、総選挙自体が最盛期だったとも言って良いだろう。

実際、この年の前後、私はメディア業界にいたのだが、パン祭りの取材を担当した先輩から見出しのアイディアを求められた際、
「あなたの推しパンは?」などといった提案をした覚えがある。
結局この案は採用されたのだが、「推し」という言葉の意味も含めて、先輩に説明したことも印象に残っている。

実は、私は当時から、この総選挙のシステムや、参加しているファン(心理)に、並々ならぬ興味と関心があった。
それ故に、推しメンも皆無の状況ながら、この手の話題にやたらと詳しかったのである。
ファンにしか分からない暗黙のルールや用語にまで精通していた私に、後輩は
「この状態で推しメンがいないなんておかしい」
「本当はCDを買って投票しているのではないか」
などと散々疑惑を向けられたものだが、残念ながら、今現在に至るまで、CDは1枚も買っていない有様だ。

私のおかしな興味関心は、女性アイドルファンに留まらず、男性アイドルファンにまで及んでいった。
ここでも、ファンのシステムや用語、タブーについて学んでいくことになる。

では、芸能人や著名人に興味がないのか、と聞かれると必ずしもそうではない。当時からドラマ鑑賞は好きで、お気に入りの俳優は何人かいた。

ただ、幸か不幸か、私は都市圏から離れたところに住んでおり、こうした人たちに「会いに行く」つまり、今でいう推し活に発展する地盤が皆無であった。

ところが、それから数年後。
本当に分からないもので、私にも明確な「推し」という存在が突然誕生してしまったのである。

きっかけはやはり、ドラマであった。
平たく言えば、とあるアイドルがテレビドラマに出演しており、俳優としてのその人に惚れ込んでしまったのだ。
が、出演作がそれほど豊富だったわけではなく、過去作はほぼ網羅してしまった。
その時に、ふと思い出してしまったのだ。
「そうだ、この人の本業は歌と踊りだ」
こうなってしまったら「終わり」であった。完全に虜となってしまったのである。

しかしながら、この頃私は既に結婚しており、しかも、ハマって間もなく妊娠も判明した。
こうして、良い意味でストッパーがあった私は、アイドルにハマっても、時間もお金も程よくセーブできたまま、現在に至っている。
当時に比べれば熱自体は多少落ち着いたものの、この時は本当に推しのおかげで、妊娠出産に伴う苦痛や痛みに耐えられたに違いないと、今でも感謝しきりだ。
やはり、推しの力は偉大なのだ。

もしも、何の制限もない学生時代に同じ状況になっていれば、今頃私はどうなっていたか分からない、ということもついでに書き添えておく。

ところで、
「推しは推せるうちに推せ」
と、界隈では声高に言われているが、これは疑いようのない事実だと思っている。
我が身でさえ、明日はどうなるか分からないのだ。
推しがいつ、引退したり卒業したり、表舞台からいなくなってしまうかも同様に分からない。
事実、私も推しを見守る過程でこういった状況に直面している。

今思っても奇跡としか思えないのだが、推し達が、地元公演を久しぶりに開いてくれ、運良く参戦することもできた。
が、間もなくコロナ禍に突入したばかりか、様々な事情から、推しを取り巻く形が大きく変わってしまったのである。

自身のライフワークバランス(収支も含む)を考えることは大切だが、その線引きさえできていれば、推し活に励むことは尊いことだと、私自身感じていることだ。

加えて、推し活には鉄の掟があることを学ぶに至った。
それが、
「アンチ(反対派)の意見を目にしてはいけない、その時点で負け」
ということだ。

当初の私は、肯定的な意見ばかり聞き入れていてはいけない、反対派の意見にも耳は傾けるべき…などと思っていたが、それは学校やリアルコミュニティといった、井戸の中だからこそ通じた話であり、ネットという名の大海において、そういった理屈は最早通用しないことを身を以て知った。

だから、私は殊に推しにはアンチなど最初からいないかのように振る舞うことを決めた。

推し活は、推しの幸せだけを考えてやっていれば良い、というのが私の持論だ。

今では、推しと呼べる人は何人かいる。
基本的にはTV画面や円盤で時折推しを堪能して、明日への活力をもらうのが、やはり私にとってはちょうど良い塩梅のようだ。

明日のタイトルは
カレイドスコープ


【おまけのあとがき①】
↑不定期執筆のため、数字がいくつになるのかは未定

エッセイチャレンジも本日で無事に5日目を迎えた。三日坊主を飛び越えたタイミングでの初•あとがきである。
noteの更新が止まってしまったことが、この数年ずっと気がかりであった。
再開するきっかけが何とか欲しくて、今回のチャレンジを思い立ったは良いが、なかなか行動できずに数ヶ月。
新年度が始まる今がチャンスだと、ようやく形にすることができた。
やってしまえば何ということはなかった。
むしろ、もっと早くやっておけば良かった、と。
これまた、いつものパターンだ。
そして今回、1周目のあ行を書き終えることができた。
筆力からすればまだまだと言わざるを得ないが、今日は最長記録を綴ることができた。
後最低95日は淡々と書いていく予定だ。
もしも興味があれば、どうぞお付き合い願いたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?