いたちごっこ【100日間エッセイチャレンジ】
私は、生まれてこのかた「イタチ」という生き物をしっかりと見たことはないと思う。
鼬と書いて、「いたち」と読むのだそうだ。
今回、「い」の頭文字にちなんだタイトルでエッセイを執筆しているわけだが、何となく思いついたのが「イタチ」だった。
で、イタチと言えば「いたちごっこ」…という安直な発想でこのようなタイトルに至ったのであるが。
今回、「みんなのフォトギャラリー」にて見出し画像を検索させていただいたのだが、「イタチ」の画像は1枚もヒットしなかったのだ。
それ故、イタチとよく似ている、と個人的には思うハクビシンの画像を拝借させていただくことにした。いかにいたちという生き物は、自分を含めた我々にとって馴染みの薄い動物なのか、ということを今回改めて認識した次第である。
そんな「イタチ」であるが、動物そのものより「いたちごっこ」という言葉、慣用句の方が我々の日常で登場する機会が遥かに多いように思う。
その意味はズバリ
「同じことの繰り返しでらちがあかないさま」
だが、今どきの言葉に置き換えるなら、「無限ループ」にでもなるのだろうか。
これを機にあまりにも気になったため、そもそも何故「いたちごっこ」と言うのか、調べてみることにした。
色々と渡り歩いたところによると、
「いたちごっこ」とは、江戸時代(!)後期に流行った子ども遊びで、「いたちごっこ」「ねずみごっこ」と言いながら、相手の手の甲をつねり合うもの。
終わりのない遊びであったため、そのままの意味で慣用句として用いられるようになったそうだ。
となると、少なくともこの頃にはねずみに並んでいたちが庶民に知れ渡っていた存在だ、ということになる。
それにしても、イタチと言えば今なお、人家の敷地に侵入して、悪さをする害獣という扱いであろうから、当時もねずみ以上の厄介者であったことは想像に難くない。
冒頭では私自身を基準に「我々にとって馴染みが薄い」などと書いてしまったが、イタチの深刻な被害に苦しんでいる人もいるのかもしれない。
そういうところからも、自分自身の見識の狭さを痛感しているところだ。
ところでイタチは、
ネコ目(食肉目)イヌ亜目クマ下目イタチ科イタチ属
に分類されている哺乳類だそうであるが、イタチ属には
オコジョやミンクといった眉目麗しいアイドル的なものであったり、ペットとして人気のフェレットも含まれているのだそうだ。
ちなみに、画像に使わせていただいた
「ハクビシン」は、ジャコウネコ科ハクビシン属であった。
思えば、害獣の代表格ネズミにしても、白い身体のハツカネズミなんかはペットとしても歓迎されているし、ハムスターやモルモットだって、平たく言えばネズミの一種である。
そうであるにも関わらず、ある種は害獣だと忌み嫌われ、ある種はアイドルのように持て囃される…。
いやはや、改めて人間とは、何と自分勝手な生き物なのであろう。
いやいや、それを言い出したらもう、堂々巡り、これこそ「いたちごっこ」の始まりと言えよう。
何の縁あってかこの世に生まれ落ちた時点で、我々は一事が万事、終わることのない「いたちごっこ」「ねずみごっこ」の遊戯を繰り返しているのかもしれない。
さっきの一撃はイタチに噛まれたのか、はたまたネズミに噛まれたのか。
噛まれた傷が癒える頃にはまた、どちらかに噛まれる運命が待っている。
我々の人生は常に、課題や問題、傷と隣り合わせと言えるだろう。
そう言い切ってしまうとあまりにも悲観的であるが、何かを乗り越えた時の達成感や爽快感、不安を解消できた安堵感も筆舌に尽くし難いものがある。
人生決して、悪いことばかりではないとも心から信じている。
そして今この瞬間、私もまた、イタチに狙いを定められているのかもしれない。
明日のタイトルは
運が良いのか、悪いのか
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