#いぬいどんどんすきになる ~『戌亥とこ』にわかファンの『戌亥とこ』語りと、自語りと~
「にじさんじ」所属の地獄のつよつよケロベロス『戌亥とこ』。
彼女のことを、ファン歴1週間のにわかファンが「よくわからんが、なんかすごい好き、かも」という感情を言語化してく。ピント外れの意見があるかもしれませんが、ご容赦を。
私が『戌亥とこ』を知る先週までの話
ここ数ヶ月、急にVtuberにハマりだした。
V界隈の外にいる人間にまでその名を轟かせるとある化け物配信者への興味が募り、彼女の配信をツマみ観始めたことがきっかけだ。
正直なところ、ちゃんと観始めるまではV界隈の身内ノリっぽいところを少し苦手に感じていたし、同じ理由でハードルの高さも感じていた。ただ、思った以上に彼女の配信には、多種多様な人間に向けて間口を広げていく気配りを感じられたので、思いの外V界隈にすんなり足を踏み入れることができた。結局喰わず嫌いというやつだった。
確かに当初想像したような身内ノリも感じはしたものの、そんなのはどこでも似たようなものといったらそれまでだし、配信者自身の人となりを知っていけば次第に気にならなくなっていく。
そして次第にきっかけの配信者とコラボする他の配信者のことも見知っていくようになる。その配信者のことも追って、そのコラボ相手も追っていて、と数珠つなぎをするうちに『戌亥とこ』という配信者まで行き着いた。これが彼女を知る先週までの話だ。
配信者『戌亥とこ』について
きっかけの配信者が大手Vtuberグループ「にじさんじ」に所属していたため、私が知ってるVtuberは大体その「にじさんじ」に所属している。とこさんも「にじさんじ」所属のVtuberの一人だ。彼女は同時期デビューの配信者「アンジュ・カトリーナ」と「リゼ・ヘルエスタ」と共に”さんばか”というユニットを組んでおり、よくこの3人で配信を行ってりステージに上がっていたりしている。
最初私が彼女達を観たとき、華やかな声とキャラクターを持つ他の同期二人に比べ、とこさんは落ち着いた様子で、印象はやや薄かったように思う。ただ、彼女ら"さんばか"の配信をいくつか観ていくうちに次第に彼女の"我の強さ"を少しずつ理解し始めた。
我の強い、といっても彼女が我が儘だとかそういう話ではない。むしろ相対している相手をよく見て観察しているのだろうと感じさせるところは多い。
いつもはゆったりと鷹揚に構えながら、何かあったらピシリと鋭く切り込んでいく。相手の粗相をあっけらかんと笑いつつ、自分の意に反することは冗談にして流さない。場の空気を保ちながら、自分のペースは決して崩さない。相手を傷つけることのなく、そして自分の芯を折らず、そんな距離感を見つける強かさが、彼女には備わっているように思う。
ほんの少しの緊張感を保ちながら、彼女の落ち着いた声が作り出すゆったりとした時間を、次第に私には心地よく感じられるようになった。
それは恐らく、他のリスナーや、彼女の周りの配信者たちも同じなのだろうと思う。私は気付いたら彼女の過去配信を流すようになり、そしてしばしばクスクスと笑っていた。
私がシンガー『戌亥とこ』を知る先週末までの話
ところで唐突な話になってしまうけど、私の人生において”音楽”というメディアは、そこまで比重は高くない。音楽を一度も聞かない日が続くのはざらだったし、これまでにハマったといえる歌手も数えられる程度だ。最後にゲーム関連以外の音楽CDを買ったのがいつか、正直思い出せない。多分十年以上も前の話だ。
だから、配信者としては興味惹かれたとこさんが、数多くのMVや歌配信を他の配信と一緒にアップロードしていることに気付いてはいたが、それらを再生はしていなかった。
数日後、配信者としての彼女を調べるうちに「戌亥を語る上でその歌声は外せない」と評価されているのを見つける。これを見つけたとき浮かんだ感想は、「やっぱり声をお仕事にしてる人はやっぱり歌も上手いよなあ」というものだ。
まあその感想は大きく間違ってはいないだろう。これまで他の配信者や声優の歌を聞く機会は今まで何回もあったが常々「本職じゃないのにこんなに歌が上手いんだなあ」と思っていた。
その感想に、僅かなりとも"侮り"みたいなものが込められているのを私は認めねばならない。ただ、やはり私がこれまで好きだった"本職"のシンガーたちは、圧倒的な"歌唱力"で私をねじ伏せてきた。大して音楽を聞いている訳じゃないのに何を偉そうにと言われそうではあるが、恐らくそれが私自身"音楽"に対して求めているものなのだろう。10分にも満たない僅かな時間で、全身をねじ伏せられるあの感覚。そんな経験を与えてくれたシンガーはそこまで多くはなかった。
最近興味を持ったこの配信者はどうやら歌もお上手らしい。そんな軽い気持ちで油断たっぷりにMVを再生した私を、シンガー『戌亥とこ』ものの数秒でねじ伏せた。これが先週末の話だ。
シンガー『戌亥とこ』について
誤解を恐れずに言うと、配信時の『戌亥とこ』と、シンガーの『戌亥とこ』が同一人物であることを、私はまだ上手く飲み込めていない。そのふたつの像が上手く結びつかないのだ。笑顔の可愛い男子高校生の"ピーター・パーカー"と、街を救うヒーロー"スパイダーマン"をニューヨーク市民は誰一人同一視できないように。
これはもちろん、私がまだ彼女を知ってまだ一週間足らずのにわかファンであることは大きいとは思う。でも何年も前から彼女をずっと追ってるファンの中にだって同じ様な人は少なくないんじゃないかと勝手に思っている。
先に語ったように、配信者『戌亥とこ』はとても魅力的なエンターテイナーだ。ただシンガー『戌亥とこ』の魅力は、それとはまた別の種類のものだ。どっちが上だとか下だとかそういう話ではない。ただ別の種類なのだ。別の世界観と言ってもいいかもしれない。そんな違う世界の境界を『戌亥とこ』はひょいと飛び越えていく。まるで散歩でもするように。
つい先程までユーザーの戯言に突っ込みつつケタケタと笑っていた彼女が、歌い始めた次の瞬間に別の存在に変わる。『戌亥とこ』にとっては歌を歌うことこそが、ピーター・パーカーにとってのスパイダースーツと同じ、”変身”への手段なのだ。
実のところ、私が『戌亥とこ』に致命的に”やられて”しまったのは多分この"変身"のせいだと思う。もちろん、どんなものでも、いつもと違う顔を見せられると人間誰しも魅力を感じてしまうものだ。ギャップというものにはどうしても惹きつけられてしまう。ただ、『戌亥とこ』からは、もう少し違う種類の引力が私に働いているような気がしてならない。
とある芝居で、舞台上の役者が観客の目の前でころころと役柄を入れ替えながら演技をする様を見たことがある。あれを初めて観たとき、私にとんでも無い衝撃が走ったのを覚えてる。この感覚が他の人にもピンとくるかはわからないが、少なくとも私にとってそれは、まるでこの世で起きている出来事じゃないような、ひどく魔術的な魅力に満ち溢れて見えた。私が『戌亥とこ』が歌う様に感じるのは、そんな妖しい引力だ。
生まれて初めての"推し活動"。多分、きっと
ここから更に、『戌亥とこ』はその歌う歌ごとにもその印象を変えていく、という話に繋げていきたいのだが、それはつい先日発売されたの彼女の1st ミニアルバム『telescope』のレビューを改めて書くので、そこで語ろうかと思う。というか、元々そのレビューの前段として書き始めたこの文章なのだけど今の時点で十分に紙幅を取ってしまったので一旦ここで切り上げたい。
正直なところ、ちゃんと『戌亥とこ』を知ってまだ1週間足らずの自分のようなにわかファンが、わかったような口でそれなりの長文を書き連ねることに、些か抵抗が無い訳でもない。まるで的外れの文章を書いているような気もして、少し恐ろしい気持ちもある。だが、ただひとつはっきりしているのは、それでも私は『戌亥とこ』について何か書かずにはいられなっていまこの文章を書いているということだ。
私が彼女を知ってちょうどタイミングよく開催されていたファンミーティングイベントに衝動的に参戦し、周りの『戌亥とこ』ファンのお歴々が、真っ直ぐな熱量で彼女を全力で推している姿を見て、いい意味で当てられてしまった部分があるのだろう。ちゃんとファンを名乗りたいと感じる存在を折角見つけたのだから、自分なりの推し活動をしっかりしてみようと思い至ったのである。
私は好きな作家はそれなりにいるが、その作家自身を応援することはあまりない。身も蓋もないことを言えば、作家は私の好きな作品を作るための職人と思ってしまう部分がある。作品を作ってくれるのであれば、誰が作ってもいい。少し過度なくらいの"作品至上主義者"だ。でもとこさんのことは、彼女自身をしっかり応援したいなと思っている自分がいる。
作家個人を応援したいと感じたのは学生時代以来。随分と久しぶりの"推し活動"である。いや、当時は"推し"という言葉すら存在していなかったので、もしかしたらこれが人生で初めての"推し活動"となるのかもしれない。
本音を言ってしまえば、なんでこんなに急に彼女に惹かれてしまったんだろうと自分でも少し戸惑っている。ただ、それと同時に、それ以上に、この胸に燻る非常に懐かしい感覚にワクワクしている自分もいる。
しゃなりしゃなり、と先を歩いていう彼女を追いかけていきたい。この衝動が一体どこに向かうのか、それを確かめたいと思う。ぶらり歩いて行こう。とりあえず気ままに、振り向かないで。