”なんだか運のいい”私がなんだかうまくいかなくなった話
お久しぶりです、ゆきです🌷
この度、企画メシ2021に参加することとなり、先日1回目の講義がありました。
ただでさえ感情ポケモンな私ですが、約2時間半の講義で感情の動きが非常に激しかったので、久しぶりに自分の思っていることを書き留めておこう、と思います。
”なんだかうまくいく人生”の末路
今までやりたいことは実現してきたし、できないことも克服してきた。私はそんな”なんだかうまくいく人生”を送ってきました。
今まで、”なんだかうまくいく”のは運がいいからだろうな、と思っていました。”私ならできる”という根拠のない自信を携え、のらりくらりと流れに身を任せて生きてきました。
もちろん、これでうまくいき続けるのであればそれでいいと思います。
しかし、社会人になってから、特に最近の私は、なんだかうまくいかないループから抜け出せなくなっていました。
「私は運がいいからなんとかなる」
「しんどくても多分どうにかなるよね」
そう思って、「つらい」「しんどい」がなんとかなるのを待つようになりました。まさに運任せで生きるように。
「いつまで経っても誰かの庇護のもと」
そんな中での企画メシ講義。阿部広太郎さんのある言葉で電撃を打たれたような衝撃を受けました。
「選べる人にならないと、いつまで経っても誰かの庇護のもと」
この言葉を聞いて、正直かなりがっくりきました。ああ私は、運がいいのではなく、誰かの庇護を待っていたんだ、と。
もちろん努力なしで生きてきたとは言いません。
しかし、周りからの支援やいただくチャンスのおかげあってここまでこれたのであって、何も自分で選んでないことに気づきました。
そして自分で選んでいないから、自分が成功した理由も言葉にできない。どうしてうまくいったのかもわからない。だから、うまくいったことも再現ができない。
せっかく成功やうまくできたことがたくさんあるのに、”運がいい”という言葉に逃げて、気づけば「何故だかわからない」が山のように蓄積されていました。その山にこもって、大嵐が過ぎゆくのを待つ。特に最近はその大嵐が止むことはなく、ずっと同じ場所で待ち続けていたんだな。そんな自分に情けなさを覚えました。
全部が私の歴史の1つ
本当に自分って未熟な人間だったんだな、とお恥ずかしながら、初めて”未熟”という言葉を実感しました。全然熟していない、なんならまだ芽すら出ていないじゃん、と。
でも、今この最高に未熟な状態だからこそ、何でもできるな、という希望も同時に持ちました。そして、自分の人生を自分で選んでいきたい、と強く思いました。
私ならできる、という根拠のない自信がいい意味で役に立つ時が来たんだな、と。
阿部さんの著書「それ、勝手な決めつけかもよ?」にもありましたが、
”History には story がある”という言葉の通り、私が根拠のない自信を持っていることも、ここでつまづいたことも、全部私の歴史の1つです。
自分の人生なのだから、”積極的解釈”で自分のものにしていこうと思います。
言語化で見える世界は・・・
自分で自分を理解し、選んでいく。
そのためにこれからやっていきたいことは、何より言語化。
なんとなくやってきたので、いろいろなことの境界線が曖昧で、ふんわりしています。だからこれからは、成功も失敗も、好きも嫌いも、楽しいも悲しいも、感動も絶望も。全部言葉にしてしっかりと飲み込んでいきます。
今はふわふわした、輪郭の見えない私ですが、言語化の先にどんな自分が見えてくるのか。
その変化さえも言葉にできるように。
私にとって勝負であり挑戦の2021年後半、スタートです。
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