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味わえないけれど

yukiです🌷
またまたお久しぶりの投稿になってしまった!

あまりにアウトプットからかけ離れた生活を送っていたので、外に出ししつつ整理していけたらいいなと思い、久しぶりに書いてみます。

実は2021年は私にとって人生で一番辛くて苦しいハードな1年だったのですが、その影響なのか私には「疑う」「不安になる」癖がついてしまいました。

例えば歩いているだけでも、「〇〇についてどうしよう」「あれってどうしたらいいんだっけ…」「こうなってしまったら怖い」などとネガティブなことを考えていたり、不安で仕方なくなってしまったりするようになりました。

2021年はハードな1年と上述しましたが、私にとってなくてはならなかった1年だと思っているので、決してネガティブ一点に捉えているわけではありませんが、少なからずその苦みのようなものを引きずっています。

そんな時に読んだ、泉谷閑示先生の「仕事なんか生きがいにするな」。
現代人は頭で判断することが多く、心(=身体)の声に”ふた”をすることが多いのだという。
本来は、頭と心=身体を親和させる必要がある。

「心=身体」が感じ取った感覚を「頭」がありのままに受け取って、それをもとにさまざまな好奇心を発動させたり、抽象化や概念化を行って、そこから普遍的真理を抽出したりすること。
これが意味が析出してくるプロセス

泉谷閑示(2017)「仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える」 ,幻冬舎新書

上書を読んで思ったことは、「あれ、私、最後に心が喜ぶようなことしたのはいつだっけ…」ということでした。

ずっと、疑いと不安から早く逃れたい一心でした。
「このネガティブな気持ちを早急に払拭するにはどうしたらいいか」
だけを必死に考えていて、とにかく急いでいました。
結果、その場しのぎの行動ばかり。

「心=身体」が感じ取る感覚は無視して、頭でとにかく考えて、不安からの逃避行動を取る。
それが当たり前になっていたことを痛感しました。

だからこそ、物事をありのままに捉えるようなこと、例えば散歩や食事や香りなどでさえも「味わう」ことができなくなっていたことに気づきました。
試しに散歩に出かけてみても、気温や歩く心地よさ、快さを感じるのではなく、頭の中は不安事でいっぱい。
感覚を味わうことができなくなっている自分がいました。

去年1年かけて築き上げてきた「不安」「疑い」の癖は、もちろんすぐに変わっていくとは思っていません。
いい意味で、諦めを持っています。
だけど、私はもっと「味わう」ことで自分の心を喜ばせてあげたいし、ご自愛の土台があってこそ人に豊かさを提供していけると思っています。

1日1分でもいいから心が赴くままに味わい、好きだなあ、いいなあと思えたことを自分の辞書に概念として載せていく。
そんな日々を送りたいなと思う今日この頃です。

また思ったこと考えたことを書いていこうと思います。
それではみなさま今日もご自愛で!♡


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