東北旅記3,14~それでも世界は優しさでまわっている
ご無沙汰になりました。まみやです。
これは、ぼくが就職を間近に控えた大学4年の最後の春休みに東北を巡った旅行記なるもの。
世間はコロナ一色で、ぼくは多くのモヤモヤを抱える毎日。
そんな憂鬱な日々から逃げ出すために東北の各地を訪れ
今、ここで”見たもの” ”感じたこと” ”考えたこと” ”受け取ったこと”
をみらいの為に書き記しておくものです。
3,11@仙台~日常を続けたあの日から
3,12@女川・石巻~ぼくがここへ来た理由
3,13@陸前高田・気仙沼〜依存と自立のリズム
3,14@女川~それでも世界は優しさでまわっている
こんなご時世に
東北旅5日目。
今日は1つのことに絞って書こうと思う。
「それでも世界は優しさでまわっている」
ぼくが、今回の旅で受け取った大切なもの。
ずっと下を向いていたぼくを、前に向かせてくれた。
大人になるということを、この時期にやっと知った気がする。
そのことについて書こうと思う。
「少しずつでいいからまわす側の大人になっていってね」
こんなご時世である。
「新たな感染者が確認され…」
今日もまた1人、ぼくの生まれた滋賀県でも感染者が増えたみたいだった。
そのことを遠く離れた仙台のホテルの一室で知る。
世界は何でまわっているのか
学校は休講で
イベント、公演、ライブなんかも全て自粛
ぼくの卒業式も無くなった。
あるハッシュタグが流行っているらしい。
こんなご時世だから
経営破綻に追い込まれそうなホテルへ宿泊へ行こう!
観光客が激減している地方の特産品を買おう!
とか
ニュースでは
「急増する!ペット購入者!」
なんてやっていた。
自宅での時間をペットにかけるのか
それとも不安をペットで和らげようとしているのか。
国会ではフリーランスへの休業補助金について討論がされている。
会社勤めのサラリーマンとフリーランスとの差額4000円について
延々と討論がされている。
ぼくは
バイトをしていたホテルを、相次ぐキャンセルによって
予定より2週間早く退職することになった。
日本中、世界中、
ぼく以上に困難な局面を迎えている人はきっとたくさんいる。
そんな毎日に
この世界は経済でまわっているんだな
と痛感する。
ぼくは経済に詳しくない。
関心が低い。
だからか、
こんなご時世に
経済ばかりが取り沙汰される、この国を
悲しく思う。
そりゃ、お金って大事だ。
何をするにもお金は必要で、ないと生きていけない。
経済が滞ると、
失業者は増え、会社は倒産
多くの人の生活が脅かされる。
けど、それってお金に依存してるだけじゃないの?
こんなご時世だから
経済以上にもっと変えようとしないといけないこと
あるんじゃないの?
例えば、優しさだとかさ。
受け取った優しさを
友人が東北へやって来た。
昨日の夜に京都からヒッチハイクを始め、お昼過ぎには仙台へ着くという。
ぼくが東北に来ていることを知り
「東北に行きたい」
と連絡をくれた彼は、無銭で間もなくこの地にたどり着こうとしている。
友人と合流し
再び女川の街に訪れることになった。
女川の街を2日ぶりに歩く。
2日前と同じ、商業エリアを一通りまわる。
前回も感じた「作られた復興」の街並み。
そんな後ろめたさを残した街に、
「絶対に地域の人の声を聞こう」と
願ってもない再来だった。
美味しく海鮮丼を食べ
営業再開に賑わうスーパーへ行く。
そして午後から住宅エリアを歩いた。
新築の家が並ぶ、住宅エリア。
すると家の中から声をかけられた。
何て声をかけられたのかは覚えていない。
幸運にも家にあがって、少し話しを聞かせてもらえることになった。
それから2時間、話を聞かせてもらった。
震災当時の状況から、仮設住宅を8回移動した話。
街の復興と、女川原発、そこにある住民の声と思い。
そして、姿を変えた街に思うこと。
聞いているだけで辛くなるような話しを
その方は、時折涙ながらに、鮮明に教えてくれた。
(詳しい内容は別で書こうと思います)
「なぜ、声をかけていただいたんですか?」
と尋ねる。
「私もたくさんの人に助けてもらったから」。
地震発生時、隣町の石巻にいたという。
家族を女川に残し、必死に女川に帰ろうとしていたところ
運良くヒッチハイクで乗せてもらった。
自宅は流され、急遽家に泊めてくれた知り合い。
仮設住宅では、たくさんのボランティアの方に支えられた。
「私もたくさんの人に助けてもらったから、少しでも力になれたら」
と、声をかけて下さったのだった。
「私もヒッチハイクを乗せたことがある」と。
震災から2年ほど。
乗せた人が、父を訪ねて来た人だった。という話しを聞いた。
世界は回って返ってくる。
その日は
出版予定の写真集の打ち合わせの予定があるようだった。
この街のことを
残し、伝えるために。
打ち合わせが終わると
写真集の打ち合わせに来ていた男性の方に
「女川原発、見に行きませんか?」
とお誘いまで頂いた。
福島に比べると被害の少なかった女川原発。
「それでも不安なものはないほうがいいよ」
と、寂しそうに見つめる眼差しが印象的だった。
ぼくらは、その人の優しさに甘えに甘え
帰りの道を石巻駅まで送ってもらうことになった。
きっと世界は優しさでまわっている
「少しずつでいいから、回す側の大人になっていってね」
ハンドルを握る、その人は言った。
石巻から少し内地に入った町の教員だそうだ。
東日本大震災の被災者でもある。
車を乗りながら、当時の状況、教育現場の話をたくさん伺った。
「やっぱりあの震災で、助け合うことの大切さを感じた。
遠くから外国からもボランティアに来てくれた。
あの時から、困っている人を見たら、何かしてあげたいと 変わったんやと思う」
自身も同じように旅をしていたとの話も聞いた。
「世界は回ってる。
助けられたら助けたいと思うし、助けなあかん。
そうして世界はどこかで回ってる」。
春から社会人になる。
普段、小学生を教えるその人には、
もしかすると成長した過去の教え子と重なって見えていたのかもしれない。
「少しずつでいいから、回す側の大人になっていってね」
強制のない願い、とても優しい言葉だった。
「はい!少しずつ…」
と感謝を込めて言葉にする。
けれど、その覚悟が充分でないと分かっているから、
少し笑ってごまかす自分がいた。
東北の地で本当にたくさんの優しさを受け取った。
オススメの牛タンと、城跡に連れていってもらった。
「来てくれてありがとう」と声をかけていただいた。
息子が旅の間、たくさんお世話になった分をと、海鮮をご馳走になった。
友人のヒッチハイクから、夜遅くの宿まで送り届けてくれた。
大切なお話を聞かせてもらった。
ぼくは何もしていない。
何も返すことができなかった。
それでも世界は優しさでまわっていると信じたい。
いや、信じられる。
たくさんの優しさを受け取った。
その優しさは、誰かからまわって、今ここにある。
ぼくは進んで、その循環の中に入りたいと思った。
ぼくが受け取った優しさは、誰かへの優しさとなって
きっとまた、ぼくの知らない所で優しさはまわされていく。
そんな風に
きっと
世界は優しさでまわっている。
愛情のタンク
ここで、唐突にキリスト教と彼女についての話しを始める。
ぼくはキリスト教主義の教育を幼稚園から大学まで学んできた。
自身が完全なキリスト教信者ではないのだが
思い出深い、こんな話がある。
人の愛情はタンクに貯められた水のようだ。
他人から受け取った分だけ、タンクに貯まって
タンクの下についた蛇口をひねって、他人へ愛情を注ぐ。
時にタンクの中が空になる時がある。
愛情を与えたいのに、貯まっていないことがある。
そんな時は、誰にも平等に
神様が愛情の水を注いでくださる。
この話の要点は2つ。
・与える愛情と、受け取る愛情の量は等しい。
・愛情は与えても与えても枯れることはない。
ぼくの彼女は
愛情が豊かな人だ。
今まで会った、誰よりも愛情豊かで
愛情や優しさを与えることを全く厭わない。
そこに損得を考える余地はなく
誰に対しても、平等に愛情と優しさを与える本当にすごい人だ。
同量の愛情と優しさを受け取っているのだと思う。
そんな彼女だから
たくさんの愛情と優しさを受け取っている。
だから決めたことがある。
優しさの借金
ぼくは今回の旅で、たくさんの借金をした。
たくさんの人に、たくさんの優しさを
見返りを求められず、借金した。
きっと今までの人生でも
たくさんの人に迷惑をかけて
たくさんの優しさを受けて生きてきた。
「受け取ってきたものを返したい」と思った。
受け取ってきた優しさを
これから、別の誰かへ返していく。
大人になるとは、
受け取ったものを、次の誰かに渡していく
こと、なんだろうな。
22歳。
10日後には社会人になる。
正直、まだまだ子どもだし
子どもでいたい。
これは、ぼくのわがままだ。
まだまだ足りない。
自分の中にある優しさが。
だから、ぼくはもっと優しさの借金をしたい。
もっともっと大きな優しさを誰かに渡すために。
それが、ぼくの原動力となる。
ぼくは受け取ってきた大きな優しさを、誰かに渡し
もっと大きな優しさを受け取って
その優しさをもっと大きく育てていく。
そんな風にたとえ
世界の片隅の、ちっぽけな一部分でも
優しさで世界をまわしていく。
今日もこの世界は優しさでまわっている。
まみや