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周りの言葉を真正面から捉えすぎない大切さ

わたしは、幼少期から何の迷いも不安もなく、
「歌手になる!」だけを思いながら生きていた。

ならないわけがないと思っていた。

そんな中学3年生の頃、
音楽人の打ち上げの席に行った時のこと。
まだ16歳なのでもちろんジュースで輪の中にいたわけだけど・・
宴会の後半、ある男性ボーカルが全裸になり事務所の人たちをもてなし始めた。
女性はキャーキャー、男性はガハガハ笑って楽しむ中、
16歳の恋愛経験も未熟だったわたしは一緒に行っていた2つ上の友達とトイレに逃げ込んだ。

(男性の全裸を見て何が楽しいかわからない。お酒ってこうも人を変えるのか?
まず未成年がいることわかってる?
大人の世界ってなんか汚い。こんな大人はやだ。)

と思っていた。
そして20歳ほど年上の仲の良かった女性がいて、その人がトイレに来てくれた。
「大丈夫?」と。

(あぁ、この人は見ててくれたんだ。さすが素敵な大人の女性だな)
なんて思った矢先、

「でもさ、真美、芸能界目指してるんだよね?だったらこういうの慣れておかないとだよ!あなたならしっかりしてるからわかるよね?切り替えて戻ろ?」
と言われた。

言わんとすることは今ならわかる。
そしてしっかり者、大人の輪にいても違和感ないくらい大人びてる。落ち着いている。
そう思われることは多々あった。

けどあなたがわたしの何を知ってる?
それをわざわざ駆けつけてまで言うことか?
と、純粋無垢なわたしは何も言えず、
ただ怒りにも似た悔しさと、
憧れてる大人への裏切りにも似た切なさと、
何とも言えない気持ちで涙が出たのを覚えている。

それから高校2年生ギャル時代、
きっとどこか不安に感じ始めたんだと思う。

”このままいって本当にデビューできるの?
地元にいて、どうやって歌手になれるの?” と。

そんな思いが漠然とあった時に初めて、
親から

「あなたもし歌がだめだった場合、何するか考えてみた事ある?考えてなかったら、考えてみても良いんじゃない?」

という言葉が投げかけられた。
更に、事務所の社長には、

「20歳になってもデビュー出来なかったら終わりだと思えよ!」

と。

初めて、
(そうか、わたし歌がなくなったら何もない。
わたしって他に何ができるんだろう?)
そう考えるようにもなった。

ただ、その言葉の重圧に押されるようにどんどん歌えなくなり、
変な男に引っかかったり、遊ぶ時間が増えたりと、
迷子になっていきました。
そんな中でユニットでCDを出すことになりましたが、途中でダンサー1人脱退。
そしてわたしも色々と考えた結果、レコーディング中断、事務所も退所。

今思うと、事務所にもメンバーにもとても迷惑この上ない事をしているし、無責任な最悪の対応をしてます。。
ですが当時はそこを汲み取る余裕などわたしにはなく、語彙力にも欠けていたので、自分の想いをうまく伝えることも出来ませんでした。

そして20歳、
今回ばかりは数ヶ月スランプから抜け出せず、、
ボイトレの先生にも
「1回歌やめてみたら?大丈夫。あなたは歌に帰ってくるから。」
と言われ、
素直に歌を1度辞めてみました。

ですが反発するように、
恋愛などに走りましたが、最悪の状況に落ちていきました。
(このプライベート面はまたいつか話す時がきたら晒します。)

この辺りの時代の自分の感情は、覚えていないし、
むしろ生きていたかな?
と言うほど、自分で自分がわからずふわふわしていたように思う。
これがいわゆる地に足がついていない状態だ。と
思います。

そこから歌は趣味に変え、” 歌に変わるナニか”
を探す旅が始まりました。

その辺りメインのお話はこちらに記載した通りです👇🏻


そしてライブ配信を1回辞めざるを得なかった頃、結局、フォロワーが減らないように、
みんなが離れていかないように、
ランキングが下がらないように、などに囚われ、
精神的にストレスを抱えていました。

けれどその中で、
「配信しないの?フォロワー減るよ?」
などとほぼ毎日追い討ちをかけてくるリスナーさんもいました。

プライベートでも、
「歌上げないの?完璧に出来上がってなくてもいいじゃん!」
「あなた勿体無いよー!器用貧乏だね」
などと、何度いろんな方に言われたことか・・

そして氣づきました。
人は、所詮他人。
家族だろうと、パートナーであろうと、友達であろうと。

こう言っては悲しいし寂しいけれど、
他人なんです。

今生きているこの人生はわたしの人生でしかなくて
今生きているその人生は、あなたの人生でしかない
のです。
そこに、縁ある人たちがいて、それぞれの人生で見てきたもの、感じたことなどの
経験がそれぞれにプログラミングされている。

それを、経験談として、客観視してアドバイス、
意見として言葉を放つ。
それを、”あなたのため” として。

学生時代も、「○○した方が絶対いいよ!」
に対して、その通りの選択をしなかったら、
「マミは人の言うこと聞かないじゃん?だから好きにしたらいいんじゃない?」
と、まぁ親にもですが、言われたことがあります。

皆さんも経験ありませんか?
「あんたは本当言うこと聞かないもんね〜」みたいな(笑)

けどわたしは、
(なぜわたしはやりたくもないのに、あなたの言うことを聞かないといけないのだろう?なぜそれが間違っていて、なぜ怒られるのだろう?)
とずっと違和感を感じていました。

違う角度から見たら、‪”‬あなたのため‪”‬は、
時に押し付けでしかない。


例えば、
「20歳になってもデビューできないと思えよ」
に関して言えば、この人の感覚、
この人のものさしでしかない。
実際、20歳を超えてデビューした方は山ほどいる。
言われて傷ついたとしても、あちらからしたら
あなたのためを思ってのことよ。
と、言うでしょう。
じゃあ言われた通りにしてダメだったら責任とってくれるの?
と言ったらきっと答えはNO!
結局無責任なのです。

とはいえ、言いたい事はわかります!
当時、わたしは遊びに夢中で歌が二の次に見えていたのでしょう。
だから喝を入れたくてそう言ったとも考えらますし、
実際当時の芸能界は(今もそういった事務所多々あります)
オーディションを受けるにも年齢制限がある。
体力的にも、柔軟性的にも、扱いやすいのは若い年齢の子なのでしょう。

ボイトレの先生が言ったのも、きっと粗治療で、
『この子はこれだけ歌手一本で生きてきたんだから、辞めさせたら歌いたくて仕方ないと戻ってくるかもしれない』
なんて思っての発言だったかもしれません。

(もちろん、全てわたしの都合の良い見解です)

でもみんな、私のためを思って言ってくれたこと。
優しさだとは分かってますよ!

そして当然、人が言ってくれる言葉には必ずヒントがあり、"知らせ" や "お導き" もあります!

ただ幼少期は、時代背景もあり、
大人が正解だと思っていたし、そういう風潮だったので、信じる事しか選択肢が生まれなかった。
違和感を感じても、それを発言する力がなかった。

人の言葉に左右されきたつもりもなく、
本当に自分で全てを選択してきたので、
思ったのと違っていたとしても後悔はありません。
ただ、自分という人間を、
貫く力がなかっただけなのです。

自分が一番よく知っているんです。
「わたしはこんなもんじゃない!」と。
幼少期全盛期の自分を誰よりも自分が体感しているから。

が、わかっていても行動できなかった。
気持ちがついてこなかった。
声に乗せられなかった。
だから自分で納得出来なかった。
過去を越えられるか不安だった。
これはもう、わたしにしかわからないであろう感覚で、言い訳でしかないのです。

本質は考えてもしょーがない!行動あるのみ!て人だったわたしが
これだけの年月をかけるほど、
わたしではないもう1人のわたしへ潜って潜って思いきる。感じきる。
ということがなかなか出来ませんでした。
ですがインナーチャイルド(自分の中の子供のままの自分)と向き合った時に、
やはりこうして言われてきた言葉がわたしに刺さっていて、癒えていなかった事もわかりました。

そして、

・過去言われた言葉に囚われすぎて執着している。

・過去の栄光に縛られている。

・今の自分に目を向けられていない。

・理想が高すぎて、こんなんじゃダメだと今の自分を否定している。

・自分で自分を制限している。

・👆のことから自分に自信がなくなり臆病になっている。

という事柄がわかり、、

・今のわたしを受け入れ、今のわたしを発信、
吐き出すことによって、自分を満たせていける氣がする。

と思い、今回文字に表し、動画で発信を再度していく。
次こそはもう途絶えることがないように、、
と開始しました。

それほど、わたしにとって歌を発信していく、
歌っていくということは、簡単ではないモノ。
わたし自身の居場所だったから。
ただ好きだから歌っているのとは少し違う感覚なのです。

ステージ上で吠えるわたし


ただ今は、とても生きやすい時代だと思う。
個を尊重し合える時代。
もちろんもっともっと個人のやりたいことへの自由を尊重されてほしいと感じることもまだまだありますが。。



結論、何が言いたいかと言うと、

どんな他人の言葉やアドバイスを聞いても、
どんな決断をするのかは、自分次第。

全て自分の選択、自分の責任なのです。

なのでまずは第1に、
自分を大切にしていきたいと思います。
でないと周りを幸せになんて出来ませんからね☺️


最後まで読んでいただきありがとうございます🥹🙏


真美


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