男性が女性に奢る行為は一種のプレイ。男女平等とは別問題でしょ

女って基本、フェミニストなのではないかと思う。

昔、ある知人が言った。

「現代の女性はいいね。自由で幸せだね。昔の女性は選挙権もなくて、仕事だって自由に選べなくて、いろいろ制約があって苦労したんだからさ」

男性のセリフだ。

「うん、まぁ、確かにそうでうすよねー」

そう、適当に相槌を打ちながら、心の中で「なんか違う」と思っていた。

確かに、平和な毎日なのかもしれない。でも明治・大正の女性の女性解放運動家?たちの血と涙の結果、だと思うの素直に喜べないし、同じ女性が差別されてきた歴史があったという事実だけで、女性である自分には、それが過去の話だろうとまったく他人事に思えなくて、彼の能天気なセリフに軽い怒りの感情さえ湧いてきた。

あるとき、女友だちの中のひとりの旦那の悪口大会が始まった。

タバコを吸っていた女友だちに、たばこをやめろと言ったから。「○○家に喫煙者はいないから」という理由で。でも、彼の中で、男である自分は特別だった。つまり彼は自分がたばこを吸っているのにも関わらず、女だからというだけで彼女にたばこをやめさたのだった。

こんなふうに、女はたぶん、ちょっとした瞬間に、「フェミニストなわたし」が、めきめきと心を占領して、ひとりでモヤモヤしたり、女ともだちと男性社会への不満大会が始まったり、フェミニズム的なニュースや歴史を追求し始めたりする時期がある。

かと思えば、すっかり、ただの恋する女に成り下がることも。

例えば、好きな男性に美味しいものをごちそうしてもらったり、プレゼントをもらったりすると、フェミニストなわたしはすっかり消え去り、女に生まれてよかった!!とこの上ない幸せを感じるのだった。

そんなときに、ふと思う。今、巷で広まりつつある割り勘文化って、ちょっとさみしいかも。こんなふうに女性としてのエクスタシーを感じる瞬間がなくなるって、すごく味気ない。

男尊女卑は許せない。でも、奢ってもらうのはうれしい。

この二つの感情は矛盾しているのだろうか?

男におごってもらって喜んでいる女性に対して、日本のフェミニスト界のドンである田嶋さんはきっと怒るだろうし、一部の男性も、男女平等を主張するならば、当然割り勘にすべきだと言うだろう。

でも、男女間の奢る奢らない問題は、フェミニズムとは別の問題のような気がするのだ。

かわいい子猫がお腹を空かせていたらミルクを飲ませてあげたいって思うじゃない。男性が女性に奢るという行為は、そんなふうに子猫のように愛しい人をかわいがり、また、女性はかわいがってもらうこと。それは、ある種、プレイを楽しむ行為なのではないだろうか。庇護される役と庇護する役を楽しんでいるのだ。

お互いプレイだとわかっていれば、女性は素直に喜べるし、男性もおいしそうに食べる彼女をみて喜べる。恋愛のよいスパイスになると思うのだ。

逆にプレイだとわかっていないで、例えば女性が依存したり、奢ってもらうのが当然だと思っていたり、男性なら奢ったんだから対価=カラダを受け取って当然だと思っていたりすると、ジェンダー問題へと発展してゆく気がする……。

まぁ、経済的な背景も時代によって違うので、どんな相手にでもおごってあげる、というワケにはいかないと思うけど、やっぱり好きな女性には、気持ちよくおごってあげられる男性はすてきだなと思う。金額じゃなくてね。そう、金額じゃなくてね、そう思っている女性はけっこうは多いのではないだろうか。

そして女性にご馳走してくれる男性たちへ。きっと、あなたが想像しているよりずっと、彼女は喜んでるし、感謝していると思う。マトモな彼女ならね!

ブログ「年齢にも世間にも縛られない女の頭の中」から転載しました。

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