
地方の民が抱く〝劣等感〟
いわゆる「地方」と呼ばれる場所から、「都会」に出てくる時、地方民はこう考えます。
「都会って、すごい人がたくさんいるから、120%の力で当たっても標準にも届かないかも…」
〝標準〟に届くために全力以上を出さないといけないよね、と思ってしまうのです。
私自身も、小さい頃、道東の人口1万人レベルの町から、人口3万人レベルの町に転居した後、札幌に転居することになった時には、親が超テンパっていたのを覚えています。
「この子、札幌の小学校の授業についていけるのかな…?」
両親親戚全て道東の人間だったので、都会というものの正体がわからない。ゆえに、札幌という名の都会に転居するだけでこの状態でした。
もちろん、この価値観は、私にも深く根付いていました。
地元の国立大学に一浪して入った時も、
「本州からくる人たちは、ここの大学に浪人なんてせずに楽々受かっているんだろうなぁ」
と思ったり、
「地元では難しいと言われているけれども、本州の人たちにとっては滑り止めなんだろうなぁ」
と思ったり。
本州から来ている人たち全員がそうであるわけがないのに、自分の中で情報が足りないからそう考えてしまったのですね。
地方民の劣等感とでも言いましょうか。
転職で関東の会社を受けた時も、似たような考えが発動しました。
「この筆記試験は、量がかなり多いです。全問解いた人はいなかったはず」
と試験が始まる前に言われ、
「関東の人たちでも解けないくらいの量の問題…じゃあかなりのマッハスピードで解かないと、普通にもなれないのでは…?」
という意味不明の思考が緊張した頭の中に鳴り響きました。
結果、やや汚い字かつ文字通りのマッハスピードでガンガン書いていき、なんと全問回答することに成功。
入社後に「この人、入社の時の筆記試験で満点取ったんだよ〜」と10年以上経っても問題作成者に言われる事態に。
地方の出身なんで、都会の人と戦うためには本気以上の力を出さないといけないと思って、と言ったところ、
「それ、地方の人あるあるだよ」
と返されました。
とある田舎の子が、都会の人のレベルを高く考えすぎていて、プロ並の練習をしていたという例もあるそうです。
インターネットがあって、世界中の情報が手に入る今、地方民の劣等感は変わったのかな?どうなのでしょうか。
劣等感があるがゆえに、頑張れたし成長できたという側面があるので、地方民の劣等感もいいものかもしれませんね。