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本当の自分で生きるということ

どん底期の意味

 昨日の記事で、12年おきに辛いことが起こるけれども、私に辛く当たった人や環境は、手痛いしっぺ返しを食らっていると書きました。

 これをもうちょっと突き詰めて考えたら、いわゆる「どん底期」って、
✔本来、出会うべきではないもの、人、こと、場所に遭遇してしまう時期
✔本来、関わってはいけないもの、人、こと、場所に関わってしまう時期
✔自分自身のエネルギーも落ちているのかもしれない時期
という、「本当の自分」「本来の自分」で生きていたら、起こるはずのないものが起きている時期なのではないかと感じました。

 同時に、辛いことを体験することで、
「私はこんな辛いことを体験するほど、〝能力がない〟人なんかじゃない!」
という、自分自身の本質を発見し、プライドを持つための期間なのかなと思うようにもなりました。

どん底期間がくれたプライド

 24年前、クラスメートたちにハブられ、本当に友達ができなかった時には、
「私はこんないわれのないイジメを受けるような人間じゃない!!」
とのプライドが生まれました。
 実際に環境が変わってからは、友達もできましたし、今では、会う方にけっこう気に入ってもらえる確率が高い人になっています。

 12年前、数年かけて就職活動をしたのに、どこにも就職が決まらず、アラサーながらレストランのウェイターをやったり、ホテルの清掃のアルバイトを経てやっと就職したブラック企業で毎日怒鳴られた時代には、
「私だってたくさんの能力があるのに、ここまで力を発揮できない環境で毎日怒られて心身をボロボロにするなんて間違っている!」
というプライドが生まれました。
 その後、退職勧奨により転職をすることになって、ちゃんと能力を伸ばしてくれる環境や上司に恵まれましたし、私に向かって「給料を倍出すから、ぜひうちに来てくれ!」と言う企業まで現れるようになりました

 そして、今回。
 「なんでこんなことが起きているんだ!?」
 今まで経験したことのない出来事に翻弄され、感情もかなり揺さぶられたのですが、結局は、道具として扱われていたことが判明し、心身ともにボロボロに。
 何をどうしたら良かったのかが全くわからず、アラフォーという貴重な時間と、お金をかなり浪費してしまったように思います。
 「私はそんなに軽く扱われて然るべき存在じゃない!!もっと大切に付き合うべき人なんだ」
というプライドが生まれていますので、まもなくそれに適う出来事や環境に恵まれるはずです(希望)。

どん底期は、自分の中にある宝に気づく時期なのかも

 こうしてみると、普段、関わるはずのない環境や出来事、人に遭遇することで、平和に生きてきた時には決して気づくことのできない、自分の中にあるお宝と出会うことができるのが〝どん底期〟なのかもしれません。

 それは、フェイクに隠されていた、「本当の自分」。
 これが顔を出すことで、人生が飛躍的に変わっていくのかなと期待しています。

 それでも、やはり、辛かった時期のしこりは心に残ります。今でも思い出すと、恨みが残っていると感じますし、使ってしまった時間を後悔することも多々あります。
 ただ、私に大事な気づきをくれた辛い環境や人は、やはり、そうするだけの本質を持っていたということなので、それなりの未来になっていっています。
 だから、私が仕返しをしなくてもいい。恨みは消えないにしても、新しい未来を歩んでいるのだから、そちらに集中しようと思います。


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