過去にもらって感動して泣いたもの
私はとある協会に入っていたころ。
講師としてプレイヤーをしながら
まだ自分も未熟なのに講師の育成も同時に関わる(マネージメント)ことを
両立させていた時期がある。
しかもプレイヤーとしてやり出してまだ2−3ヶ月の頃。
まだまだ私も超初心者。
自分のことで模索中で解決策も見出せていないことを
人に教えているという状態。
私なんかが教えていいのか?と言う罪悪感。
なんとなくその時期は罪悪感が半端なかったのです。
どこかでいつも
「私がリーダーでごめんなさい」
「もっと自分ができたらもっと効率よく伝えられるのに」
「もっと何かできれば」
当時は自分の至らなさを埋めるべく、
とにかく勉強もした。
セールスな得意な人にチェックしてもらったり。
わからないなりに理解しようと思っていたし経験を積むことに必死だった。
何が正解かわからないことを試しては伝えていた気がします。
特に私はセールスが苦手だった。
9人連続不成約の私が人にセールスを教えていると言う矛盾。
自分の不甲斐なさと相手に対して悪いという気持ちが全然抜けなかった。
それでも相手に不安を見せないように堂々と振る舞い、
時には励ましたり一緒に考えたりしていた。
何かを見つけるために自分は凹みながらも
自分がやってみて良かったことをシェアし、
講座生のセールスの試験官もしていた。
自分も初心者の状態で教えている時期が数ヶ月続いたあと
その教えていた期の人たちの養成講座が終了した。
卒業式サプライズで私を含めたリーダー宛に講座生から
個別のメッセージが書かれたサイン帳をいただいた。
それだけでもすごく嬉しかった。
「こんな私にメッセージなんて、なんてありがたい。なんていい人たちなんだ」とちょっと泣きそうになったのを必死で堪えた。
家に帰って1人部屋にこもって読んだサイン帳には
「ありがとう救われました。」
「細かく教えてくださりありがとう」
「いつも丁寧でわかりやすかった」
「いつも助けられてました」
「安心感が半端なかったです」などなど
お礼と感謝の言葉がたくさん並んでいた。
「お礼を言いたいのは私の方だよ」
「こんな未熟な私にありがとうと言ってくれてる人がいるなんて」
とくらい部屋で声を押し殺して泣いた。(家族にはバレたくないので、、)
今でもその時の気持ちが蘇る。なんとも言えない感情。
ちょっと温かい、でも罪悪感。
当時の私は必死だったし、その時の全力を出していた。
それでも埋まらない至らなさが悔しくて自分を責めていた。
私の方が色々みなさんから教えてもらっていたと思う。
インプットがとにかく好きな私が
苦手なアウトプットをすごくした期間。
アウトプットが一番の自分のインプットになることが体感的にわかった時期でもある。
そしてもう一つ
振り返って今思うのはあの頃に
「完璧でなくても今あるものを出して正解にしていく」
ことを一番学んだ気がする。
どこかいつも「完璧」でないと人に伝えてはならない。
と言う謎の「〜ねばならない」病だった私が30点でも外に出していく勇気が持てた(というか出すしかなかった)
正解か不正解かわからないもの「自分が言ったこと」を正解に変えていくことをしていたと思う。
フリーランスになって「正解」のない世界を不安なく進む練習をしていたのだと思う。
当時は胃が痛くなるほど精神的にきつかったし、
会社員と自分のクライアントさんのサポートと講師のサポートと家事と母の介護。今思うとまあまあなマルチタスクをよくこなしていたと思う。
でもきっとこの時の講座生さんがいたからこそやりきれていた気がする。
ありがとうみんな!今でもありがたいと思う。
片付けをしていてふと思い出したちょっと胸が傷む感情と
人の温かさを思い出しながらそっと「サイン帳」をその場に収めた私である。(結局そのサイン帳が入っていた場所は片付かなかった、、(笑))
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