シアターワーク発表会/マーマーなフェス旅vol.2
349日目。
昨日の続きです。
友達とHAPPA STAND で美味しいほうじ茶ラテを楽しんだのち、シアターワーク発表会会場へ。
開演時間まではまだ時間があったのですが、頂いたおにぎりを食べながら、友達とおしゃべりしながら過ごしていたら、あっという間に開演時間になりました。
井上博斗さんの前説が素晴らしかったなぁ。
身体表現にずっと向き合ってきた方の存在感って、やっぱり迫力がちがいました。
それと、みんなで声を出したことで、会場が浄化され、神聖な場所になったと感じました。
さぁ。
シアターワークの本編が始まります。
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みんなが裸のこころで舞台に立っていました。
演じている人が裸のこころで舞台に立っているので、観ているこちらも裸のこころで向かい合います。
シアターワークにおいて、観客はただの傍観者ではいられません。
恥部解禁。です。
恥部って…。
その人の、もっとも神聖なところ。やわらかいところ。美しいところ。
ふだんは、見せていないところ。
ひょっとしたら自分自身にさえ隠しているところ。
同時に、もっとも暗く、醜いところ。
ずっと閉ざしてきたところ。
みんなが裸のこころで、音やことばを放つから、それは観ている人にもまっすぐに届きます。
劇中
「絶対に許さない!」と叫んでいた演者さんがいたのですが、その言葉が、わたしのこころにもっとも深く響きました。
「絶対に許さない」
わたしは、わたし自身に、この言葉をずっと言い続けていたのだ、とはっきり自覚してしまいました。
わたしにずっとゆるしてもらえなかったわたしは、小さくなって泣いていました。
わたしのことを責めていたわたしも、とても苦しそうでした。
もう、いいかげん、どちらの自分もゆるしてあげたい、と思いました。
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地上では人間がいろんなことをしていても、「神聖な存在」はずっとそれをみている。
全員が祝福された存在。
演者さんひとりひとりがみんな、自分の恥部を見せている。
けれどそれは、もう「その人だけの恥部」ではなくて、それを見ている「わたし自身の恥部」でもある。
世界に「他者」は存在していない。
ハワイ語のオリ(お祈り)のような響きも聞こえてきました。
うまく言葉にできないけれど、シアターワークを見つめた今のわたしのこころの模様を、ここに残しておきます。
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ちなみに。
シアターワークとは…。
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身体でやると、もっと深く、もっと広く、「わたし」を認識していける。
時間と空間を超えて、わたしは、わたしに近づいていける。
頭はとても素晴らしいはたらきをしてくれるけれど、頭には限界がある。
身体でやると無限。
ここ最近、身体にフォーカスしているのは、それをいよいよ自分の人生で体現したいからなのです。
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ライティング・ライフ・プロジェクト第8期、受付終了いたしました。
ありがとうございました。
「話す」ことで、もっと自分自身を知っていくための対話の時間です。
サポート頂けると、とってもうれしいです💖 誰かに言葉を贈ること、誰かを言葉で祝福することが、わたしにとって、とても楽しく喜びを感じる瞬間です。頂いたサポートは、ぐるぐると循環させて、生きたエネルギーとして、また別の誰かに、何かに、お返ししたいと思っています。