もし、ひーちゃん(母)が、幕末に生まれたら吉田松陰だったかもしれない件
「マーク・パンサーに手紙を書く!」朝起きて来たら、母ひーちゃんが、目をキラキラさせている。マーク・パンサー。そう、わたしら世代(1977年生まれです)が若かりし頃、一斉を風靡したあのglobeのマーク・パンサーである。
ひーちゃんの手元には、「湘南よみうり」。マーク・パンサーがその一面を笑顔で飾っていた。わたしは、知らなんだが、鎌倉にお店を構えているそうな。
「マーク・パンサーさん、花粉症なんだって。ベルコロンを紹介しなくちゃ。」ひーちゃんは、自分が乳酸菌と花粉症について書いた記事をかき集めながら、せっせとお手紙を書いている(注:ベルコロンは、ひーちゃんの乳酸菌ブランド)。
母、ひーちゃんは、いろんな偶然から、35年も前から乳酸菌を販売し続けている。今でこそ、腸活ブームで、健康に乳酸菌の重要性が、うるさいくらい聞こえてくるが、35年も前なんて、誰も見向きもしない、というか、なんなら胡散臭い感じでとらえられていた時期もあった。
しかし、どういうわけだか、この母は「直観的にこれだ!」と思ったものは、誰がなんといおうと自分の感覚を信じて、突き進める性質があるらしい。夫に反対され、時に周囲から白い目で見られようが、自分の中の軸をぶらさずここまで来た。娘からしてもあっぱれである。
とにかく「これだ!」と思ったら、自分の社会的立場や関係性など、どうでもよくなってしまうひーちゃん。レディ・ガガが線維筋痛症という難病で苦しんでいることをニュースで知った時は、「レディ・ガガに乳酸菌を教えてあげないと!」と、いろんなつてをたどって、なんとかレディ・ガガに連絡を取ろうと動き出したり。。。これまでも、自分とは生きている世界が違うであろう人であっても、全く臆することなく、ぶつかっていこうとする。
このアホらしいまでの突き進み方を見て、ふと「こりゃ、吉田松陰だな」と思った。吉田松陰は、黒船に乗りたい一心で、その辺にある手漕ぎの小舟に2人で向かったという。自分の立場とか、経済規模とか、関係性なんてどうでもいい。「黒船に乗る必要がある」という思い、ただそれだけ。ひーちゃんは、「レディ・ガガに乳酸菌の素晴らしさを伝える必要がある」ただ、それだけ。
はっきり言って大馬鹿ものである。ひーちゃんに、「よくそんなこと考えるね。普通の人、そんなことやらないよ。」と言うと、「あら、そう。だって、助けたいじゃない。いいものがせっかくあるのに。」シンプルだ。
幼いまでのシンプルさは、実にラディカル。そして、「活き活きした世界を生きる」ことを願って活動している私も、金沢の牧師の弟も、屋久島でオルタナティブ・スクールを始めた妹も、面白いくらいにみんなその血をひいいている。
「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなすものは 心なりけり」(高杉晋作)
「諸君、狂いたまへ」(吉田松陰)
狂ったくらいじゃないと、やれないことがある。
さあ、マーク・パンサーに届くか。届いても、届かなくても、ひーちゃんは、これからもずっと、飽きもせず、飽くことなく、乳酸菌の素晴らしさを、熱を持って伝え続けるのであろう。自らを、ベル天使(乳酸菌ベルコロンの天使)、乳酸菌の伝道師と呼びながら。
狂ってる。イカしてるぜ、ひーちゃん。
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