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不調和は調和へ続く道、あるいは調和は不調和を内包する

週末にgreenz.jpのオンラインイベントで、ずっと見たかった映画「ビッグ・リトル・ファーム」を観た。自然と調和する農場作りに取り組んだ夫婦の8年間のドキュメンタリー。その主人公であり、監督・脚本・撮影監督等も手がけるジョン・チェスターが最後にこう呟く。

すべては自然と調和するためだったが、ここまで来られたのは心地よい不調和のおかげだ。

ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、荒地を生きた土地に変えるまでは、本当に色々なことがある。順調に進んできて、自然を画面越しに息を飲むような美しい光景が現れ、一緒に喜んでいると問題が起き、それが解決するとまた次がというように、一喜一憂しながら観ていた。そんな繰り返しの中で、ジョンたちは問題が起きたとき、一旦観察すること、その観察から創意工夫が生まれること、失敗から見える新事実が農場に活力を与えることに気づき始める。

彼らの奮闘と冒頭に挙げた最後の言葉を聞いて、ふと「不調和は調和へ続く道」なんじゃないか、あるいはそもそも「調和は不調和を内包する」のではないか、ということが頭に浮かんで来た。

人間の体だってそうだ。例えば、血液の中にはナトリウムやカルシウムなど様々なイオンがあり、一定の濃度に保とうとするけれど、それは常に起こる増減(不調和)を、食物として取り入れたり、体の一部を壊したり、排泄しながら調和に向かわせることで実現している。謂わば福岡伸一さんのいうような動的平衡で保たれているんだ。個々の局面では、不調和が起きているけど、全体では調和している。風邪で熱が出るというのも、体内の異物を排除すべく出てきている反応で、全体としては調和に向かう。

こころの面にもそれは言える。毎日すかっと晴れの日ばかりという人もいないだろう。なんだか、イライラする、モヤモヤする、ザワザワするというのも何かの不調和が起きているサインだと思うが、それをネガティブなものとして蓋をしないで観察すると、自分が自分としっくりくる調和の方に連れて行ってくれる。

調和にはすでに不調和が折り込み済みであり、不調和があるのが当然で、不調和があるからこそ、躍動感のある調和が生まれるのではないか。そう思うと、不調和の捉え方が変わってくる。そう感じている。

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