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「市民」と日教組と「教育勅語批判」

なぜ教育勅語がタブー化するのか?

 

太平洋戦争の終戦から、いったい何年たったのか?

いまだに、ときどき「教育勅語」に関してのもめごとの話題が飛び込んでくる。

パターンはほぼ決まっている。

①公的立場のあるだれかが「徳目」に関して教育勅語あるいは教育勅語の解説文などを引用したり参考にしたりする
②それを市民団体が問題にし、「戦前回帰だ」として問題にする。
③保守系政治家が反論する。

毎度おなじみ、このパターンの繰り返しである。

いったいいつまでやってるんだろう?という気はしないでもない。

 

で?教育勅語とは?

明治天皇の「お言葉」として「父母孝行」「兄弟ニ友」「夫婦相和」「朋友相信」「恭倹(謙遜)」「博愛」「就学就業」「知能啓発」「徳器成就」「公益世務」「遵法」「義勇」の12の徳目が語られたもの(文章)といわれる。

この複製が長年初等中等教育機関に掲げられたり、教員によって朗読されたりというのが戦前の普通の学校であった。

 

1948年の国会決議「教育勅語に関する排除の決議」

批判する人らの根拠は、これだろう。
まあ知らない人もいるかもしれないけど。

戦後、1948年、国会の衆参本会議において「教育勅語に関する排除の決議」がされることになるが、当然GHQの方針によるものであろうと言われている。

まあ、新憲法によって、主権者の設定が変わったために「天皇から臣民に下賜された、臣民が守るべき徳目」という形では矛盾が起こるのは間違いない。

戦後、新憲法が作られたあとも放置されていたので、その扱いについて一定の判断を下す必要はあったとは思う。

教育勅語等排除に関する決議  
 民主平和國家として世界史的建設途上にあるわが國の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となつている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。   思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
 右決議する

https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=100205254X06719480619

「国民に対する(天皇による)指導原理的性格を認めないことを宣言」でありそれゆえに「謄本を回収しして教育現場から排除の措置を完了すべし」となるわけだ。

日本語の語感からすると「排除」は結構強い言葉のように思えるが、GHQが要求したのは、exclusion removalのどちらだろう?

「天皇による国民の指導的原理としての性格」のremovalの必要があっただけだろう。 

この決議自体、憲法第98条をその根拠としているので「憲法に抵触しない範囲」において、教育勅語を参考にする等は特に問題はないように思う。

「国家の国民教育における指導原理」として、復活させようという話でなく、教育勅語に挙げられた「徳目」だけを参考にするのであれば、1948年の国会決議とも矛盾はしないはずだ。

だいたい、教育勅語に挙げられた徳目自体、さほど不思議な内容ではない。

いったいいつまで「市民団体」は、たかだか引用程度のものを問題にし続けるのだろう? 

教育勅語の引用批判をする人達と「教育勅語の内容擁護をする人は、端から噛み合っていないのだ。

今の日本に、いまさら主権在君の国家にしようという人はいないだろう。なのに批判はその前提でなされている。

「教師の倫理綱領」が歴史的文書であるなら…

戦後、最も反戦平和を主張してきたのは日教組だろう。
 
日教組は、1952年に作った「教師の倫理綱領」を、「文部省と日教組の歴史的和解」以降、「歴史的文書」として、前世紀末に自ら封印している。

なのに、それ以前の1948年に国会決議まで経て無効化された「教育勅語」を、今もなお現状に影響を及ぼす文書としてやり玉にあげるというのは、市民様はいささか無粋に過ぎるだろう。

もはや「歴史的文書」とし、政治的色彩を帯びるのを前提とするのをやめるべきなんじゃないだろうかねえ。

ちょっと引っ張ってきただけで、軍靴の音が…とか、令和の世にやることだろうか?
 

かつての日教組の「教師の倫理綱領」を、そのまま「市民の倫理綱領」として、運動しているのが、「市民」のような気がする。

【教師の倫理綱領 1952】
1.教師は日本社会の課題にこたえて青少年とともに生きる
2.教師は教育の機会均等のためにたたかう
3.教師は平和を守る
4.教師は科学的真理に立って行動する
5.教師は教育の自由の侵害をゆるさない
6.教師は正しい政治をもとめる
7.教師は親たちとともに社会の頽廃とたたかい、新しい文化をつくる
8.教師は労働者である
9.教師は生活権をまもる
10.教師は団結する

なぜ、日教組の各種運動運動がお花畑といわれてきたのか?それは非現実的なだけでなく「国家観」がなかったからだと私は思う。

「教師」を「市民」に入れ替えるだけであら不思議…、「市民運動家」たちの不可解な闘争スタイルの謎が解けてくる気がしないでもない。



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