ある日、いわゆるオバケを観るようになった。

ウチのおばあちゃんは様子がおかしな人だった。

いわゆる「見えちゃう人」であった。

おばあちゃんの親友である墓守りのアイちゃんは近所のお寺の墓地の真ん中にある小さな家に住んでいた。

毎週末そこで今で言うところの「女子会」を繰り広げては夜10時くらいになると自宅に電話しては孫娘のあたしを100円のお駄賃で迎えに来させるのだ。

おばあちゃんは腰が曲がり足が悪かった。
100円に釣られただけの小学生のあたしはおばあちゃんの杖の代わりになるよい孫娘の面をかぶって暗い墓地を横切りアイちゃんの家へ行く。
それはそれは怖いのだけど、100円もらえることで恐怖に打ち勝つのだ。笑

問題はその後。
墓地の横、長い川沿いの道を足の悪いおばあちゃんを支えながら歩く。
しかも超低速。
恐怖ポイントは2カ所あった。
お寺の門と敷地の外れの大きなイチョウの木。
子供ながらに直視できない場所でおばあちゃんは空気読めない発言を始めるのだ。

〇〇さんが死になった時にな、夜中に位牌堂の引き出し開け閉めする音がしただって。

とか

このイチョウの奥でよう首吊っとりなるらしいで。

とか

そこを超低速で歩くのだ。
あそこを歩くことで怖いものから意識を遮断する術を学んだ気がする。笑

そのおばあちゃんの所に近所の人があれこれ相談に来たりだとか
戦争中にあの家の人は帰ってくるとかこれないと言うようなことを予言?したりしていたと聞いた。

そして何十年経って
まさかのあたしも「見えて」しまい
誰かにアドバイスをするようなことをさせてもらうようになっている現実のデジャヴ感はやはり、この様子のおかしかったうちのおばあちゃんの隔世遺伝なのだと実感してる。

要するに
今のあたしも一般的には様子がおかしいのだ。

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