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がん終末期のお風呂のことパート2。

お風呂に入りたいがん終末期の患者さん。
70代後半の男性で、病気を患う前は社長さんでした。外では厳しく、家の中では優しい方だったと聞いていました。最後のときはご自宅で過ごす、トイレも最後まで自分で行くという意思をお持ちでした。

カリタスプロセス9
敬意をもって神聖な行為を通して、身体的・心理的・霊的な人間の全人的な基本的ニーズを支援する。に関連したことを書きます。
(排便についても書いていますのでお食事中の方などはご注意ください)

その方のお風呂介助のとき。このときは看護師2人で訪問し、わたしは風呂場の中には入らずに脱衣所で待機、もう1人の看護師が入浴介助に入りました。途中でわたしは、いまお風呂の中はどんな状態かなと思って、風呂場を覗いてみました。するとびっくりしました。洗い場が便の海になってるじゃないですか。ご本人、便を出す薬も飲んでおられたためにここで出てしまっていました。そのためにシャワーの排水ができなくて、洗い場に水が溜まってしまっている。看護師は、必死に排水口に水が流れるように便をせきとめ、水を流してる。患者さんは立ってるのも必死なはず。このような状態に慌てたりして余計な負担はかけてはいけないと、そう思って対応しているのが言葉を交わさなかったけど分かったので、素知らぬフリをして何もないかのように2人で排水し、体をキレイにしてお風呂からあがりました。

その看護師さんが黙って洗い場をきれいにする姿をみて、患者さんを思う心に胸を打たれたのと、看護師魂を感じました😄

排便や排尿などのケアってすごくプライベートなことです。自分でできることなら自分でするし。人にしてもらいたくないことを委ねないといけないとき。。特にこの患者さんにとってはプライドを低くして私たちに自分のケアを委ねてくださってたことを感じていました。そこに敬意を持ってニーズを支援する、それによって守られることってあると思います。こういうのって人と人によってできる関わり、ヒューマンケアリングだって思います。
これからの時代は、ロボットに多くのことを担ってもらうようになるんだと思いますが、現場はこんな泥くさいことを、ダイナミックな(動的な)患者と看護師の相互作用でつくられていたりします。

カリタスプロセス9
敬意をもって神聖な行為を通して、身体的・心理的・霊的な人間の全人的な基本的ニーズを支援する。


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