見出し画像

仮説に対しての壮大な実験を繰り返すように【公開文通| セコ→ヒデ②】

みなさん、こんにちは!ヒデさんと世古口の公開文通の二巡目です。

手紙を読む。それに対して返事を書く。その返事に対してまた返事が来る。そして返事の返事を書く。その繰り返しの中で知っている自分と知らない自分の自己覚知や、自分の中に既に浸透している考えを深め、自分が知り得ない考えを知ることができる。この私たちの自己満足である公開文通が、誰かに対し心に残る媒体になることができたら嬉しい。

▼ヒデさんと世古口の違うところ

ヒデさんが前回の返事の中で「僕は頭でこうしたいと考えている人。せこさんはこうなったらいいなを実践している人」とお互いの現在地を言語化していた。まずヒデさんが考えているだけでなくアクションしていると捉えている。草木染めをしたりカフェしたり音楽したり…楽しそうな企画の中に、おそらく「こうしたい」を溶かしているのだと勝手に思っている。対して僕はヒデさんの言う通り、考えを深める前に行動してしまいがち。以前関わっていた法人の代表は「DoDoDoDo、とにかく実行していくこと!」と言っており、それを体現していった経験から「あっこうだ!と思ったことをやり、やっていく中で考えを改めていく」という考えに変わっていった。

▼読んだ本や観た映画の具体的な一説やシーンを覚えられない。

先日、三休での取り組みを福祉職の方々へレクチャーする機会があった。その感想に「経験に基づく」とか「自分の言葉」とかよく挙がっていたそう。読書や映画鑑賞をした後、具体的な一説やシーンはすぐに忘れてしまうのだが、そこで得た考えやグッと来たことは感覚的に覚えている。

僕は好きなミュージシャンのライブだけでなく家の近所のライブハウスの企画イベントに参加するのが大好きだが、ライブ自体に入り込むのではなく現在の生活を走馬灯のように振り返ると同時にこれからの生活のキーワードを考えていくという、人とは違う楽しみ方を持っている。

「その瞬間」を「その瞬間」として感想を切り取るのではなく「いまの生活」に「その瞬間」を取り入れていく無意識な行為があるから、自分のことを話すときは、定型的な言葉で語るのではなく経験知で喋ることに繋がっているのかなと感じる。

▼どっちが先、ということではなく、どっちも同じようなスピードで歩んでいる

ヒデさんの軽音学部の原体験に共感している。前述した通り「思い立ったが吉日!」なので、三休オープン当時、エイヤー!と様々な地域イベントを開催していた。福祉はまちづくりだ!と思っていたのと、他が3年掛かることを僕たちは1年でやるねん!と自信があったことが、地域イベントを無理やり開催していた理由だと振り返る。

他のスタッフが疲弊していったこと。就労の仕組みが整えていなかったこと。メンバーが少なかったこと。様々な要因をきっかけに、地域イベントの収縮、そして、地固めである農業と福祉により一層注力し始めた。けれども地域イベントを「なくす」ことはしなかった。三休が大切にする「地域づくり」。福祉を起点に地域の方々が徐々につながっていく瞬間をコマのように積み上げていくことで三休が銭湯的な拠点になるという理想をオープン前から掲げている。だからこそ、なくすことはしなかった。できなかった。

新たなメンバーが加わることでオープンに至った「カフェ」。カフェを飲食店としての機能で留めず様々な活用をしていくことを考えている。

三休の仕事の中心である「農業」。野菜を育て販売するという側面だけに留めず人と人が介在する機能を併せ持っていくようにしている。

「福祉」を声高にしたくないが、僕たちの土台は「福祉」だ。福祉の上にカフェがあり農業があり仕事がある。福祉ってなんだ。それは地域づくりなのだと思っている。そんな仮説に対しての壮大な実験を繰り返すように三休の日々を過ごしている。

▼ヒデさんのやってきたこと、そしてやりたいことって何だろう

ヒデさんがSPACE toiでやってはった草木染め。多世代の方々が「草木染め」をきっかけに集まり過ごしていたことは妙に居心地が良かったように感じている。ヒデさんがこれまで取り組んでいたことはなんだろう。そしてこれからやっていきたいことは何だろう。次の返事が楽しみ。


福祉の線引きを薄めるために、福祉の中で遊んでいます。特に障害をお持ちの方と一緒に。みなさまのサポートはそれらの遊びに活用します。